奥山政常起請文
寛永十九年十一月吉日 / 冊子 217~219頁
奥山五兵衛尉政常が神仏に誓約した起請文。奉公・忠節に偽りや隠し立てをせず、誓約に背けば天罰・神罰と地獄の苦しみを受けるとする。本文には神道・仏教の諸神仏、霊社、地獄の責苦が長く列挙され、寛永十九年十一月吉日付で政常が花押を据えている。
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寛永十九年十一月吉日 / 冊子 217~219頁
奥山五兵衛尉政常が神仏に誓約した起請文。奉公・忠節に偽りや隠し立てをせず、誓約に背けば天罰・神罰と地獄の苦しみを受けるとする。本文には神道・仏教の諸神仏、霊社、地獄の責苦が長く列挙され、寛永十九年十一月吉日付で政常が花押を据えている。
記事 / 冊子 253頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書0730
今年三月二十三日の仙洞(元注證櫻町院)崩御の報せが薩州に届いたことを受け、継豊が香奠を献納した記事。先例に従い、七月二日に伏見假屋守鎌田覺大夫政常を騎馬で京都泉涌寺へ遣わし、尊霊前に白銀三枚を納めた。使者の移動手段と香奠の品・数量を記す。No.732には重年による白銀二十枚の献納が載る。
記事 / 冊子 254頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書0732
重年公御譜の同上記事は、同年三月二十三日の仙洞(元注證櫻町院)崩御に際し、先例に従って使者を京都泉涌寺へ遣わし、尊霊前に香奠白銀二十枚を献納したと記す。伏見假屋守鎌田覺大夫政常が騎馬で赴き使者を勤めた。No.730の継豊の白銀三枚と対になるが、本記事自体には七月二日という献納日を記さない。騎馬は使者の移動手段で、献納品は白銀二十枚である。
日付記載なし(天明七年三月二十六日証状の別紙) / 冊子 962~963頁/原整理番号 2603の2/整理ID 2603-2
備前清真の脇差一腰について、長さ九寸六分半、表裏に刀樋があると記し、代金二十枚の折紙を添えるとする。鎺は上下金、二所物は色絵で「橘裏哺」と記し、柄鮫は白、星目釘は金、鞘は蠟色、鵐目は金、小刀は美濃守藤原政常と列記する。下緒は紫、袋は純子と記す。
年月日不記(寛永十五年などは系図内記事) / 冊子 652~653頁/原整理番号 120-1
鎌田氏の将永から分かれた支流の系図で、将永は島津元久の子・仲翁和尚に供奉し、福昌寺の代官職を務めたと記す。将永の後には六代分を欠くと明記し、将連から将通・将長・政重らの系線と、鎌田氏家統との関係、養子による継承を載せる。後代には男子がなく女子二人をもうけた家で養子を迎え一女を嫁がせた記事、福昌寺代官に由来する家筋のほか、政の一人が七島の悪石へ流罪となった記事もある。女子の嫁ぎ先として黒木仲左衛門などを記す。