島津朝久書状
天正十二年正月十一日 / 冊子 841頁
島津朝久が伊集院忠棟へ、新年の大慶と例年以上の満足を祝い、恒例の吉書と五明二本を贈り、この旨を島津義久へ披露するよう求めた年賀書状。
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天正十二年正月十一日 / 冊子 841頁
島津朝久が伊集院忠棟へ、新年の大慶と例年以上の満足を祝い、恒例の吉書と五明二本を贈り、この旨を島津義久へ披露するよう求めた年賀書状。
年月日未詳 / 冊子 167頁
島津朝久を祖とする豊州家の系譜を示し、久賀・忠次・藤次郎・久守・久邦・久元らの続柄を図示する。注記では、書状中の藤次郎を久賀の長男とする。
年月日未詳 / 冊子 745~746頁
島津季久を祖とする豊州家一流系図。忠廉・忠康以下、加治木家への養子相続、寺院住持となった者、串良戦死・飫肥での父子切腹、島津朝久へ続く嫡流の官途・婚姻・生没年を記す。
年月日未詳 / 冊子 928頁
島津久保譜中の系譜記事として、天文二十三年に生まれた女子が島津豊後守朝久の室となり、母は北郷左馬助忠孝の娘であることを記す。
永禄十一年四月(異本六月八日) / 冊子 197頁
永禄十一年、島津忠親が飫肥を伊東氏へ、福島を肝付氏へ渡し、子の朝久とともに庄内都城へ退いて以後同地に居住したことを記す。本文には月を四月とする記載と六月八日とする異本注がある。
天正元年 / 冊子 299頁
島津久保の系譜記事。久保丸(又一郎)が天正元年に誕生し、母は康瀬氏の娘で宝国田清左衛門尉の娘でもあると記す。姉妹の一人が島津豊後守朝久の室となったことも掲げる。
慶長十四年七月十五日 / 冊子 231頁
慶長十四年七月十五日、善集院栄旻が、谷上蓮金院は島津義弘・家久両殿の建立による永代不朽の法席で、島津豊州朝久の宿坊・祈願所でもあるため、後代の住持は蓮金院を内外とも別心なく保護するよう命じた書下。
年月日未詳 / 冊子 747~749頁
豊州家六代朝久以後の系図。島津義弘の嫡女を母とする久賀、島津家久の庶子で朝久後室の領地を継いだ忠弘、松平定行家などへの婚姻、久次・久美以下の生没年・母方・養子関係を記す。
天正三年 / 冊子 393~394頁
天正三年の島津氏の動向を編年で記す。年始儀礼と椀飯、三度の犬追物、琉球使節の接遇、近衛前久の来薩、山田・入来境界の処置、肝付家の後継争いと高城・櫛間・志布志をめぐる伊東勢の動向、島津忠良の豊後帰還、近衛前久の出水到着などを載せる。
天正三年三月十五日 / 冊子 430~431頁
天正三年三月十五日の代始犬追物の手組で、義久が二十九疋を射たのをはじめ、各射手を角ごとに配し、射犬数と検見・喚次を記録する。終了後は桟敷で三献を行い、川上経久に馬・太刀を与え、射手を手組順に召して酒を賜った。
天正十一年正月元日~三月十七日 / 冊子 765~791頁
天正十一年正月元日から三月十七日までの上井覚兼日記。鹿児島・八代・宮崎を往来しながら年頭礼、酒宴、諸将の会合、合志・阿蘇・隈本・田尻・有馬への使節と軍議、八代守備、義久の病気祈祷、南蛮僧追放、近衛家・幕府使者への応接を日次で記す。三月には秋月・龍造寺との和平、八代移転、田尻兵船などを忠平と評議した。
年月日未詳 / 冊子 559頁
島津久保譜に収められた系譜記事。島津豊後守朝久の室について、天文二十三年生、母は北郷左馬助忠孝の娘、寛永十三年十一月十一日に八十三歳で死去したことや法諱を記し、鶴寿丸・久保又一郎らの系譜関係を掲げる。