蔵人頭西園寺実秀奉口宣案
正平十九年九月十四日 / 冊子 41頁
蔵人頭左近衛権中将藤原実秀が奉じ、左衛門少尉藤原親忠を下野守に任ずる旨を伝えた口宣案。
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正平十九年九月十四日 / 冊子 41頁
蔵人頭左近衛権中将藤原実秀が奉じ、左衛門少尉藤原親忠を下野守に任ずる旨を伝えた口宣案。
年月日未詳 / 冊子 40頁
『島津国史』が貞治三年(南朝正平十九年)の南北朝情勢を記す。後村上天皇方の綸旨と渋谷重門の南朝帰属、藤原実秀ら関係者の動向を掲げ、島津氏久・元久らがどのように対応したかを家譜・文書と照合して編年上に位置付ける。
(天正七年)八月十一日 / 冊子 638~639頁
彦山の連長・栄運・英勝・莞栄・実秀が伊集院忠棟へ、前年の書状への返答を喜び、彦山満山衆徒が島津家へ少しも怠慢を存じないことを老中へ神文で申し上げたと伝える。織筋一端を進上し、詳しくは使僧が説明するとした。
(天正七年)八月十一日 / 冊子 639頁
彦山衆徒が村田経定へ、前年夏の書状に対し、彦山勢が豊後陣で軍忠を尽くしたとの疑いを聞いて驚いたと述べる。事実無根であり、豊後方への隔心に偽りがないことを牛王宝印の裏に誓い、取り成しを求め、織筋一端を贈った。
(天正八年)三月十四日 / 冊子 650~651頁
彦山衆徒が島津氏老臣へ、島津領内諸社の祈祷のため年二季下向してきたところ、年一度に減らすとの命を受けたと述べる。山上が困窮しているため新寄進を検討し、従来どおり二度下向できるよう求めた。前年に秋月種実が裁定したが未解決のため、使僧学琳坊を派遣して訴えた。
建久二年三月廿三日 / 冊子 79~80頁
梶原景時が新宮豊前守へ、頼朝の御教書を受領して門人らが喜んだかと問い、先年の瀬多での忠節の恩賞として江州三郡一荘を知行すべき旨が仰せ出されたことを伝える。さらに実秀が薩摩へ下向して公私とも満足であり、一族末代の功勲であると述べる。署名部分には「頼朝歟」とする注記があり、編者も本文書の真偽を疑いながら後考のため収載したと付記する。