島津光久譜
年月日未詳 / 冊子 122~123頁
島津光久譜の記事。先考島津家久の遺骨を高野山へ納めるため、川上因幡久国と平田将監宗昌を奉行として寛永十七年五月二十一日に鹿児島を発ち、六月二十五日に大坂で下船、二十九日に登山して納骨し、七月四日に蓮金院で僧百十口を集め、大曼荼羅供を営み青巌寺を導師とした経過を記す。続く書状では花心様の遺骨も大坂へ着船し、蓮金院の使僧と法事の日取り・諸準備を調整したことを伝えている。
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年月日未詳 / 冊子 122~123頁
島津光久譜の記事。先考島津家久の遺骨を高野山へ納めるため、川上因幡久国と平田将監宗昌を奉行として寛永十七年五月二十一日に鹿児島を発ち、六月二十五日に大坂で下船、二十九日に登山して納骨し、七月四日に蓮金院で僧百十口を集め、大曼荼羅供を営み青巌寺を導師とした経過を記す。続く書状では花心様の遺骨も大坂へ着船し、蓮金院の使僧と法事の日取り・諸準備を調整したことを伝えている。
慶長四年五月朔日 / 冊子 379頁
大井七右衛門ら五名が、鞍馬へ移った幸侃の妻子の居所へ連絡しないこと、小傅次兄弟のもとへ国元の者が出入りすれば親類でも報告すること、番勤中の見物・社寺参詣を慎むことなどを誓う。さらに小傅次兄弟の家中との交通、公用以外で他方の者と会うことを禁じ、違反すれば神罰を受ける旨を記す。
建久3年 / 冊子 175~176頁/原整理番号 55
鮫島宗家流の系図。工藤四郎家光の子・宗家(鮫島四郎)が駿河国鮫島郷を領し、源頼朝に属して石橋山合戦で功を挙げ、建久三年に薩州阿多地頭職を与えられたことを起点とする。宗家・長家と女子・山門郡司秀忠の婚姻関係を図示し、その系譜説には宗家と秀忠が同時代人であることから誤りであろうとの考証注を付す。二代家高は刑部允・入道行願、三代家景(景家とも)は弥二郎で、妻を山門郡司忠秀の女とする。兼家の九代孫宗喬は日新公に仕え、彦次郎・入道蓮道は貞久公に仕えて加世田・知覧・指宿を領した。蓮性は師久公に仕え、民部忠宗は伊作家のため阿多へ落ち久豊公に仕えたと記す。後半は宗吉―宗満、宗遊―宗秀(実は弟)、宗秋―宗昌の系線を掲げ、宗秋を日新公に仕えた備後守・泊地頭、宗昌を『人物志』所載とする。