限江匡久書状
十一月廿一日 / 冊子 129~130頁
限江匡久が山田安藝守に、鞍に用いる冬毛の皮一枚を所望し、所持者がいれば取り次ぐよう頼んだ書状。四ヶ所衆や蒲生・北郷・佐多らの動向、番城誘や三夜の滞在、祢寝・肝付との連絡についても報告する。
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十一月廿一日 / 冊子 129~130頁
限江匡久が山田安藝守に、鞍に用いる冬毛の皮一枚を所望し、所持者がいれば取り次ぐよう頼んだ書状。四ヶ所衆や蒲生・北郷・佐多らの動向、番城誘や三夜の滞在、祢寝・肝付との連絡についても報告する。
正文年月日不記(写) / 冊子 431頁/原整理番号 606の3/整理ID 606-3
公家門前の桑名の守衛を止めるので、その場所を速やかに厳重に警衛するよう命じ、藩内の適任二~三人を参与として即時差し出すよう求める。参与は改革の時節に精勤し、政事規則が立つまで一同辰刻に参集、夜は四~五人を申し合わせて宿直するという。御門と穴門四か所の内外、御臺所御門と北の穴門二か所、殿・奏者所前の門の往反取締、公家門前の守番交替、御座軒下十八人、廊下・檐下の従僕詰を列挙する。王政復古の大変革で非常が起こるか測り難いため、九門内を含め藩兵で厳重に備えるよう求める。人材差出し・勤務と場所ごとの警衛指示を分け、人数と箇所数を合算せず、実配備済みの記録ともしない。
辰二月17日関山紘、去る3日の行幸とその後の連絡を報告 / 冊子 508~509頁/原整理番号 669の1/整理ID 669-1
去る三日辰刻に主上が二条城の太政官代へ行幸し、宮・三公・堂上・諸侯が供奉したと報じる。太守は衣冠で卯刻に供を揃えて先に上り、主上の還御後に下って直ちに参内し、天気を伺って帰殿したという。中将が承知した上で参与衆へ飛札で天気を伺う意向が伝えられ、留守居が申出て中将も同意したこと、右筆頭に回った書付を日積で差し出すよう取扱いを求める。臨幸では室町通ほか四か所の辻の固めを命じられ、期限前に兵隊を配置し手当てを申渡したとして、別紙を添え心得を求める。辰二月十七日、関山紘が島津圖書・桂右衛門・川上龍衛・町田内膳の四名へ報じる。
正平十一年十二月十八日 / 冊子 888頁
島津氏久が佐竹右馬権守に、寄郡内の田地四町・薗四ヶ所を正八幡宮の御祈祷料として寄進した寄進状。天下泰平と島津家門の繁昌を祈り、寄進地の永代知行と神事用途を定める。
〈宝暦四年〉正月 / 冊子 447~448頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書1370
三州の御手伝普請場へ出向く役人を御留守居が報告する名書。目付代として石野三次郎・大久保荒之助・浅野左膳・新見又四郎、美濃郡代青木次郎九郎、代官吉田久左衛門を掲げる。美濃衆の高木内膳・玄蕃・新兵衛の三人は領地に居付き、直接普請場へ出向くと説明する。御普請役の長岡文兵衛以下の役人、御徒目付の小知藤右衛門・村山金三郎・鈴木市十郎、御小人目付の小川孫七郎・吉田半太郎・原田又兵衛・川崎市右衛門・中村忠左衛門及び十六人を列挙する。右人数を普請場四ヶ所に分けると記す。
記事成立日:未確認 / 冊子 567頁/整理ID TMP-P04-NIKAIDO-A009
執印又三郎友雄の言上状一通を起点に、関連文書八通を紹介する家譜記事である。 御施行・御催促状・御教書案・交名注文・御事書の通数を列挙する。 裏書并裏判四ヶ所有之との割注と、正文在家藏、記于左を備える。 後続四五~五一号への導入関係を記し、八通を新しい論理件へ再分割しない。