島津竜伯・同義弘連署状
(文禄元年)正月27日 / 冊子 531頁
昨冬以来相談してきた前代未聞の唐入りについて、全員に残らず命令が下った以上、準備に力を尽くすよう求める。京都からの知らせを受けて倅が出立する前に注進し、その翌日に栗野へ参着して供をすること、決めた出立日を延ばさないことを喜入久道へ命じた連署状。
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(文禄元年)正月27日 / 冊子 531頁
昨冬以来相談してきた前代未聞の唐入りについて、全員に残らず命令が下った以上、準備に力を尽くすよう求める。京都からの知らせを受けて倅が出立する前に注進し、その翌日に栗野へ参着して供をすること、決めた出立日を延ばさないことを喜入久道へ命じた連署状。
年月日未詳 / 冊子 759頁
朝鮮への長期渡海・在陣をねぎらわれたことに答え、自身が従軍しないのは唐瘡を長く患い歩行不能なためだと説明する。弟は光明寺に在寺し、島津義久と相談して細川幽斎跡目を取り立て、兵員は前年春に出して疎略がないと弁明した喜入久道書状案。
(天正八年)九月十三日 / 冊子 676頁
近衛前久が喜入久道へ、豊薩和平を重ねて申し送ってきたが、大坂対応で遅れたと説明する。織田信長が伊勢貞知を下向させるので、この機会に島津方が同意するよう取り成すことを求め、扇十本を贈った。
天正九年十一月二十六日 / 冊子 703頁
近衛信尹が喜入久道へ、京都の不慮の錯乱で他に手段がないため、この機会に助力を得たいと求め、詳細は進藤筑後守が伝えるとした書状。
天正九年十一月二十六日 / 冊子 728頁
本文はNo.1247の文書と同文であるため省略されている近衛信尹書状。
年月日未詳 / 冊子 757~759頁
喜入季久の後裔系図。忠道・久績兄弟の根占戦死、久道の長患い、島津義弘四男の養子早世、岩屋城で戦死した久延、細川幽斎の進言で還俗し家を継いだ忠政、関ヶ原で戦死した島津豊久家を継いだ忠栄、島津光久庶子忠長の養子相続を記す。