島津忠良譜
年月日未詳 / 冊子 734~735頁
島津忠良に関する系譜記事として、幼名・通称・官途・入道名と、天文四年七月五日の出生、母方を掲げる。
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年月日未詳 / 冊子 734~735頁
島津忠良に関する系譜記事として、幼名・通称・官途・入道名と、天文四年七月五日の出生、母方を掲げる。
文政5年10月15日(年は一件・目録による) / 冊子 635頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1878
重豪公御譜中に収め、斉興公御譜にもあるとの出典注を持つ記事。今年冬十月十五日、修三大翁公の三百五十年忌法事が隆盛院で営まれ、重豪が家老新納内蔵久命を遣わし、香奠金二百疋を拝上したと記す。修三大翁には勝久の人名注があり、目録も重豪が勝久の遠忌法事を修す記事として掲げる。法事の場所・使者・香奠の数量を明記し、重豪本人が参列したとは補わない。斉興公御譜にもあるという注を、斉興も同額を別に献じたという記録に読み替えない。金二百疋という原単位を保持し、両への換算や他の法事への合算はしない。
記事成立日:未確認 記事内年紀(成立日と別):天文四年乙未五月五日 / 冊子 141頁/整理ID KW1-G000111
天文四年乙未五月五日に、島津家十四代太守勝久公が清年へ鹿児島の仮屋地と仮屋付十町を賜ったと記し、証帖を左方に載せる。
宝永七年正月十八日 / 冊子 888–889頁/整理ID 2914
島津久輝ら五名が花尾山平等王院へ、勝久公の御袖判一通と同御袖判二通が坊津一乗院文庫に納められていたため、平等王院へ戻すと伝える。目録を添え、三通を末永く平等王院に伝えるよう命じた連署証状。
寛政6年9月(本文は9月、年次は配列による) / 冊子 79~80頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書0264
亡くなった年月や法号が不知であった七霊について追号を与え、寺の祭引次に附祭とし、位牌・厨子・仏具等の安置を済ませたので帳面に記すよう命じる申渡書。忠昌公夫人を天眞妙幸大姉、久豊公後夫人を無染了心大姉、立久公先夫人を鏡堂妙圓大姉、立久公三人目夫人を芳雲慈光大姉、忠治公夫人を玉蓮元香大姉、勝久公夫人を天室眞光大姉、師久公夫人を得祥玄瑞明一房と列挙する。忌日は新たに追選しない旨を記し、忠隆公の夫人は元来不知として今回の位牌安置には及ばないという。9月、播磨の署名と伊勢貞矩の人物注を伴う。包紙は忠昌公夫人と師久公夫人の追号・位牌安置の書付一通、四十九号とするが、師久夫人の法号末尾を二房と記し、本文一覧の一房と異なる。立久夫人は本書三人目、No.204では第二夫人と記し、双方の表記を残す。
文化10年酉10月4日(伝達・納置注。本文独立日付なし) / 冊子 421頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1307
正文在文庫。大御隠居の思召により、右の二寺を師久公・勝久公の葬地に仰せ付けたので、諸書付等にはそのとおり記載するよう命じる。本文に独立署日なし。前置注に文化10年酉10月4日、右近殿から得能正助へ渡し、白木御文書7番箱へ納置、朱69番とある。川上久芳の名義は目録による。二寺への葬地指定・記録指示と、10月4日の伝達収納注を分け、1306の後年石塔再建を本書実施内容へ移さない。
文化10年10月(朱年注。伝達注は同酉10月5日) / 冊子 421~422頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書1308
正文在文庫。大御隠居の思召により師久公・勝久公の石塔御銘を今回再興する旨が命じられたため、寺社奉行・御記録奉行へ申渡し、承向へ伝達するよう二寺に通知する。御石塔の格好は御記録奉行と申談じ、吟味して早く申し出るよう付す。文化10年朱注10月、右近署・川上久芳人物注。末注に一通を同年酉10月5日桂太郎兵衛から篠原善助へ渡し、白木御文書7番箱へ納置、朱69番とある。再興指図・塔形吟味・提出要求・伝達収納を分け、石塔建造完了とはしない。
年月日未詳 / 冊子 109~110頁/原整理番号 70の7
宝永7年4月23日から7月5日までの古日記抜書。伊東十郎右衛門の甲州流軍法修学と褒賞、五十騎一備の閲覧、召出しや問答を記す。7月5日には木村探見の絵の説明が始まり、出家と儒者の争い、雪中の火鉢・扇、老・壮・少の関所を挙げる。続く解説部分は目録70-8の推定範囲として別行に分ける。
正保二年六月十六日 / 冊子 376~377頁/原整理番号 131
記録所からの伺書。島津勝久の沖之濱への移座と豊後・日向での動静について、家譜、寺院の書類など記録間の食い違いを挙げ、史料の扱いと記述の仕方を伺う。寛政十年四月五日付。
七月十二日 / 冊子 377~378頁/原整理番号 132-1
佐土原泰翁寺に伝わる島津勝久の事績を書き出したもの。勝久の法名・没年、佐土原での居所や寺社の記録、墓所・石塔などを記し、伝承と古帳の内容を照合する。
天文十九年四月吉日 / 冊子 381~384頁/原整理番号 133-3
鎌田源八が勝久の佐土原・広原での居所、石塔、墓地、泰翁寺や大光寺の記録を調べた報告。古帳・寺社の書類・地元の伝承を比べ、記述や所在地の異同を検討する。寛政十一年正月十七日付。
天文四年五月五日 / 冊子 734頁
本文には『勝久公御譜中』『正文在祢寝右近重永』との所在注記と年紀のみが掲げられ、宛行本文は収録されていない。