町田存松・新納旅庵連署算用証状
文禄五年閏七月廿八日 / 冊子 35~36頁
町田存松久倍・新納旅庵長住が安宅三川守へ、加治木衆新納仲左衛門に関する米三千六百余石をはじめ、船賃米、銀への換算額と一石当たりの換算率などを示した算用証状。
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文禄五年閏七月廿八日 / 冊子 35~36頁
町田存松久倍・新納旅庵長住が安宅三川守へ、加治木衆新納仲左衛門に関する米三千六百余石をはじめ、船賃米、銀への換算額と一石当たりの換算率などを示した算用証状。
年月日未詳 / 冊子 801頁
天文十一年春、北原方の侵攻を受けた溝辺・高松城方面の戦闘を樺山玄佐が記す。本田・加治木・帖佐・上野廣原諸勢の配置、城への攻撃と救援、各隊の戦死者を列挙し、城を維持できず退却するまでの大隅中央部の戦況を具体的に示す。
(慶長四年)八月六日 / 冊子 420~421頁
島津義弘が伊集院源次郎に、内府使者寺沢志摩守の下向が予定されているので熟慮するよう求める。幸侃が悪心ゆえ成敗されたことはやむを得ないが、源次郎の進退は保障すると龍伯・少将が繰り返し伝えているのに、なお籠城していると指摘する。家中や加治木・吉田の者に神文血判どおり城を出て奉公させ、主人への加勢、親子夫婦間の悪事、食物・通用などを禁じて家中を統制し、山口勘兵衛尉を通じた和談に応じるよう諭す。
(慶長十一年)六月五日 / 冊子 74頁
山口直友が島津忠恒へ、先刻の使者には御前にいて返答できなかったため翌日に伝えるとし、御雁の拝領を祝うとともに、御礼のための出仕は日程を相談して知らせるので、その折には出仕するよう求めた書状。
年月日未詳 / 冊子 311~322頁
加治木御日記。慶長十六年正月朔日からの記事として、島津家久周辺への年始の進上物・贈答、祝儀や儀礼、使者・役人名、品目・数量・金額、諸方との往来などを日ごとに記録する。
七月四日 / 冊子 346~347頁
島津忠良が右馬頭へ、安父子の調停を頼もしいと評価し、加治木境の争乱への対処を論じた返書。若衆とも密かに相談し、一途に判断すること、先方へ事情を申し渡すことを求め、正興寺・大年寺を介した働きかけにも触れる。
九月一日 / 冊子 350頁
島津貴久が右馬頭へ、加治木で働く相手方の人数の苦労を聞き、使者を立てて礼を述べた書状。自軍の行動が遅れていることを詫び、尾州から和議の意見が度々届くなか、油断による遅延ではないと説明する。
元和元年六月十六日 / 冊子 582頁/原整理番号 8
加治木衆中帳の抄録。川上・樺山・新納・伊勢らに続き、白坂清左衛門・仲右衛門・大学坊などの名を掲げる。加治木・吉田・山田・帖佐・蒲生の人数が、年一度六月に加治木で振舞を受ける際の参上順を記した帳簿である。元和元年六月十六日付。
八月二十五日 / 冊子 19~20頁/原整理番号 6-2
八月二十五日付の平田清右衛門宛書状。受け取った書物はなお精査中で、後日返答すると告げる。高麗出兵から関ヶ原までの事情を知る加治木衆から、御記録方の題目に必要な事柄と各人の記憶を口上書として提出させ、なお不明点があれば本人を呼び寄せる可能性も伝える。
明応四年六月廿八日 / 冊子 477頁/原整理番号 77
明応四年六月二十八日夜、加治木勢が帖佐を奪おうとした際、川上忠直が高尾城から応戦してこれを退け、帖佐地頭職を与えられた経緯を記す譜。末尾に忠直の名乗り・系譜を付す。
正月9日 / 冊子 584~585頁/原整理番号 622
川上久国が加治木衆を率いる町田勘解由次官に一刻も早い島原出陣を命じる。鎌田豊前守へ、留守役を定め、児玉筑後守の指図に従って人数を整えるよう求める。
正月9日 / 冊子 589頁/原整理番号 634
加治木衆を率いて島原へ出陣する町田勘解由次官を加治木に残す必要から、豊前守を代わりに出陣させるとの児玉筑後守を通じた指示を伝える。
天正六年正月~六月 / 冊子 550頁
本文はNo.953と同文につき省略されている。島津義久代の老中八人と使衆八人を列挙した交名で、加治木衆大村重頼の覚書にも収められている。
年月日未詳 / 冊子 69~70頁/原整理番号 60
天正六年頃の島津義久代について、川上久時・伊集院忠棟ら老中八人と、新納・鎌田・本田・伊地知ら使衆八人を分けて列挙する。加治木衆大村市兵衛重頼の旧記から原文どおり写した交名である。
酉十一月廿六日 / 冊子 515頁/原整理番号 88の5
真清が、加治木衆大村市兵衛重頼の旧記をもとに書写したことを記す覚書。酉十一月二十六日付で、88-1~88-4の諸外城地頭衆・老中等書上の書写由来を示す。
慶安二年八月吉祥日 / 冊子 581頁/原整理番号 6
酒勾平右衛門景明の覚書写。慶長十一年に島津義弘が帖佐から平松へ移った際の随従、加治木への移住、元和元年の大坂落城時における加治木衆の召集・配置などを記す。祖父景綱以来の事績をまとめ、酒勾城介に贈ったもの。慶安二年八月吉祥日付。