北郷久秀譜
年月日未詳 / 冊子 153頁
北郷久秀譜として、応永元年に今川貞兼方が梶山城を襲い、島津元久が救援に赴いたが御方が難儀し、北郷忠通が二月十七日、久秀が三月七日に戦死したこと、その夜に野々三谷城を攻略した経過を記す。
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年月日未詳 / 冊子 153頁
北郷久秀譜として、応永元年に今川貞兼方が梶山城を襲い、島津元久が救援に赴いたが御方が難儀し、北郷忠通が二月十七日、久秀が三月七日に戦死したこと、その夜に野々三谷城を攻略した経過を記す。
応永卅三年十一月廿六日 / 冊子 337頁
伊作久秀が伊作庄五郎島浦南・けすくりの田地や内田の屋敷を長興禪寺へ永代寄進し、他者の妨げを禁じた文書。
年月日未詳 / 冊子 149~150頁
応永元年、今川貞兼が都城方面を攻めたため、島津元久が北郷讃久方を救援した経過を記す国史記事。梶山・三俣・野々美谷・高城などで和田・高木氏らと交戦し、北郷久秀・忠通らが戦死した。伊地知又七郎や山田聖栄の記録も踏まえ、攻略後の城・領地処置までを追う。
年月日未詳 / 冊子 153頁
北郷義久を祖として、子の久秀(藤次郎)・忠通(又次郎)・知久(中務少輔)を示す北郷氏の系図。
年月日未詳 / 冊子 153頁
北郷知久譜として、知久が当初出家を志して寺で喝食となったが、応永元年の梶山合戦で兄久秀・忠通が戦死したため、島津元久の養子となり加冠・命名を受け、宝刀鵜戸丸を拝領して家を継いだ経緯を記す。
年月日未詳 / 冊子 153頁
殉国者の記事として、明徳五年二月十七日の北郷忠通と三月七日の北郷久秀の戦死を掲げ、今川貞兼方による梶山城攻撃との関係や異説を注記する。
年月日未詳 / 冊子 158頁
島津元久譜として、梶山で兄二人を失い寺で喝食となっていた北郷知久を還俗させ、加冠・命名して宝刀鵜戸丸を与え北郷家を継がせたこと、応永十七年に将軍足利義持から中務少輔に任じられたことを記す。
年月日未詳 / 冊子 609~611頁
新納忠泰の五男忠成を祖とする支流系図。志布志落城時の出奔、日向綾・大崎・帖佐・加治木への移住、惟新公の使役に奉仕した久行、長井氏・新納氏間の養子相続と復姓、後裔の生没年・婚姻を記す。
年月日未詳 / 冊子 674~678頁
樺山興久六世孫久明の弟久宗から分かれた庶流系図。久春が島津豊久旧臣宇都宗景の娘を母とし島津久雄に仕えたこと、久永・久治以下の生没年、資矩が流浪後に平田氏家臣となって樺山姓を避けたことなどを記す。
永禄八年秋 / 冊子 147~149頁
月前の松を題として島津義久ほか十七名が詠んだ和歌の詠草。松、月光、浦波、秋風、夜更けなどの景物を取り合わせ、各人の詠を連ねる。
永禄十年二月廿五日 / 冊子 162~164頁
「賦山何」を題として、島津義久・其阿・伯囿・珠玄・家久・忠元らが詠み継いだ連歌一巻。花、月、旅、恋、無常、仏道などを取り合わせた付句を連ね、末尾に各参加者の句数を記す。
元亀二年八月十六日 / 冊子 250~252頁
島津義久ら多数が参加した名号之連歌。義久の発句「名や残る入ての跡も秋の月」から始まり、秋月・時雨・旅・海・雪・春・恋・無常などへ題材を展開する。末尾に参加者ごとの句数を記し、義久七句、其阿八句、珠玄十句などを数える。
元亀二年八月廿五日 / 冊子 252~255頁
島津義久らによる賦何船連歌。「みしやあらぬ見すや今年の秋の月」を発句とし、旅・船・古郷・秋月・雪・恋・釣舟・山寺・春景・別離などを連ねる。義久八句、其阿十二句、珠玄十句、意外九句など、参加者別の句数も記す。
年月日未詳 / 冊子 313~315頁
島津忠良(日新)を中心に、春・花・霞・雨風・旅・月・涙などを題材として詠み交わされた和歌・返歌を集めた詠草。仁禮右京所蔵本や清敷衆平田大圓坊の記載を含み、貴久以下多数の詠者名を掲げる。
年月日未詳 / 冊子 207頁/原整理番号 73
平清盛―重盛―資盛を祖系とし、実盛・国盛、時盛、存盛・兼盛以下へ続く古佐多氏の系図。時盛は伊豆守・野上田・伊予坊と記され、百引知行のため初めて当国へ下向して建部へ改姓したとする。存盛は父から佐多を譲られて佐多を号し、成盛は田代を譲られて田代二郎、さらに祢寝三郎を号して祢寝院を領した。久秀は宇治川で戦死して後継がなく、兼盛ら兄弟はそろって鎌倉へ上り各々定紋を賜り、兼盛は五梅鉢に上二引の紋を拝領したと記す。
年月日未詳 / 冊子 398~400頁/原整理番号 128
天正四年卯月十四日の会で、夏の月と郭公を詠んだ歌を集める。義久・前久をはじめ、家中や僧・近衛側の参加者十八名の歌を、作者の名とともに掲げる。月明かり、都と山路、夜半・明け方、郭公の声が共通の題材で、忠元の歌も含む。作者名・題などには異本の注記が付される。
年月日未詳 / 冊子 400~401頁/原整理番号 129
山霞・柳露・花見などの景物から、待恋・契恋・恨恋・別恋、眺望・祝言まで、二十の題を配して詠んだ和歌を作者名とともに掲げる。忠元は鹿と氷の歌を詠み、義久・忠長・季久らも加わる。題や作者名には異本による修正注があり、天正四年卯月十四日の当座と記す。末尾に本詩を130番によって校訂した旨の注がある。
年月日未詳 / 冊子 120頁
『若狭島津忠季譜』の記事。承久三年の兵乱で忠季入道が関東方に属し、宇治川の戦いで戦死したことを記す。佐多太郎久秀や高城六郎重貞ら同族の戦死にも触れる。
年月日未詳 / 冊子 120~121頁
『殉国名薮』の記事。承久三年六月十四日の宇治川合戦で、市来左衛門尉忠康が北条泰時に従って戦死したことを述べ、若狭兵衛尉忠季・佐多太郎久秀・高城六郎重貞ら同族の戦死者を列挙する。