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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

15 件 (全巻)/ 1–15件を表示

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附録2-No.1253記事確認度 高

吉利氏系図抄(二)

吉利忠張の子女から久在・久良・忠名・久遠・忠真らへ続く家系を、生没年、母方、幼名・官途、養子相続とともに記した吉利氏系図抄。久在に男子がなく、義岡久達の長子久良が姉婿として家を継いだ経緯を載せる。

登場人物
吉利忠張、吉利久在、吉利久良、吉利忠名、吉利久遠、吉利忠真
宛先
—
キーワード
吉利氏、吉利忠張、吉利久在、吉利久良、吉利忠名、吉利久遠、吉利忠真、養子、家督、系図
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0131記録抄旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

応永記

『応永記』が、久世と頼久の協議、高城の大勢による攻撃と物取りへの批判、久世が領状を与えて伊集院側の意向を容れたことを記す。匠作は伊地知氏を使者として碇山へ送り、久世は匠作に市来方を攻めてもらう考えを伝えた。申木野や天辰子監寺で本田安久らを交えた相談があり、匠作は市来の宮園に陣し、平等寺への移動を求めたが久世は応じなかった。計略に気付いた匠作は鹿児島へ使者を送り自領内の備えを固め、山北との相談を経て久世が河辺を受け取り、忠朝は隈城へ帰ったという。

登場人物
島津久世、伊集院頼久、匠作(鹿児島方)、本田安久、伊地知久在、宗親、市来氏、島津忠朝
宛先
—
キーワード
応永記、久世頼久の協議、高城大勢、掠奪への批判、匠作の使者、陣替え、共同の計略、鹿児島との連絡、領内防備、河辺の受取りと忠朝帰城
追録2-No.2815書状旧記雑録暫定版確認度 中

近衛家熙の家久在府中の招待饗応への返書

近衛家熙が仲夏二十一日、薩摩少将吉貴へ、暑中の清健を喜び、左幕下〈家久〉が在府中無事で、吉貴の館に招かれて丁寧な饗応を受けたことを喜ぶ。早い知らせに礼を述べる。

登場人物
近衛家熙・左幕下〈近衛家久〉
宛先
島津吉貴(薩摩少将)
キーワード
近衛家熙、左幕下家久、吉貴、在府中無事、館招待、丁寧饗応、仲夏廿二日
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-CONT-A67無番号系譜記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:島津勝久在判書記左導入(管理標題)

島津勝久が在判する書があるとして「記左」と掲げ、後続の文書を導入する。

登場人物
島津勝久
宛先
—
キーワード
在判、記左
追録7-No.1640位記旧記雑録暫定版確認度 高

島津斉興叙従四位上位記

従四位下源朝臣斉興を従四位上に叙する位記。兵欄・羽衛に勤め、精誠に懈りなく昼夜公に奉じたことを称え、位階を進め寵章を用いるとして、担当者に施行を命じる。文政元年十二月十六日、朱印の表示を伴う。三品行中務卿紹仁親王宣、正四位下行中務大輔藤原朝臣師光奉、従四位下行中務少輔藤原朝臣維長行。公修以下、権大納言・権中納言などの官職と名を列記し、制書の内容を奉じて外へ施行する旨が続く。従五位上行大外記兼掃部頭造酒正中原朝臣師徳、右中辨光成を掲げ、関白・左大臣・右大臣・内大臣は名の空欄を残し、太政大臣は闕とする。二品行兵部卿貞敬親王、兵部大輔兼淡路守良久、右大辨在経、兵部少輔兼遠江守利根の官職・名を記し、斉興に制書を告げて符の到来後に奉行する書式へ続く。末尾にも同日付、朱印の枠図表示、大録・少録・少録の欄、右一通を採録する。「月日辰時」という未記入欄や空白の官職名欄を補わず、転写された印の表示と現物の押印を区別する。

登場人物
源朝臣斉興、紹仁親王、師光、維長、公修、経久、経豊、師徳、光成、貞敬親王、良久、在経、利根ほか
宛先
源朝臣斉興(叙位対象)
キーワード
位記従四位下源朝臣斉興従四位上勤労羽衛精誠夙夜在公栄級寵章施行文政元十二月十六朱印中務卿紹仁親王師光維長公修経久忠頼経豊家厚国長尚忠輝弘實堅為則重能資愛公説基豊豊季隆純建房通知忠熙制書請奉附外施行制可師徳光成関白太政大臣闕左大臣右大臣内大臣貞敬親王良久在経利根符到奉行大録少録右一通
追録8-No.461島津氏家譜記事(茂久・家臣への馬・判金・大小賞)旧記雑録暫定版確認度 中

前年の英国船対応を称えた天皇の馬・判金賞と幕府の大小賞を記す家譜記事

島津氏家譜。元治元年正月、天皇が軍功を賞して御馬一匹を賜り、前年七月の英国船来航時の対応と神州の威武を称える勅を下したと記す。茂久は在国していたが旨を伝えて賞し、家臣の尽力にも判金十枚を賜ったとする。実父久光・茂久の二代で恩を受けたと述べ、二月には幕府が大小二刀を賜り藩屏の任を尽くした労を賞したと記す。三種の賞と月を分け、称賛は家譜の叙述として整理する。

登場人物
茂久、実父久光、家臣、天皇、幕府
宛先
茂久と家臣への賞を記す家譜記事、宛先なし
キーワード
島津氏家譜、元治元年正月天皇御馬一匹、去歳七月英国船対応神州威武賞、茂久在国家臣尽力判金十枚、久光茂久二代恩、二月幕府大小二刀藩屏労賞
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W05_文書0129家譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

島津元久譜

元久譜が、元久の在洛中、渋谷一族は久世・忠朝とともに碇山に集まり、鋒之尾や稲荷原・浮橋・樋緑川付近に陣したと記す。元久は病気で鹿児島に帰ったが、山西・大隅・南方の三千余騎を山北へ催し、敵も中郷の宮里通路を守って陣を往来しにくくした。北郷氏の精兵五百は誠方松山に陣して瀬野原へ伏兵を出し、市来・伊集院の五百ほどの兵も松瀬口に陣したという。

登場人物
島津元久、渋谷一族、島津久世、島津忠朝、北郷氏、伊集院氏
宛先
—
キーワード
島津元久譜、元久在洛中の出兵、渋谷久世忠朝の連合、病気帰還、三千余騎、北郷五百精兵、伊集院五百兵、松瀬口
前編2-No.816記事確認度 高

島津元久譜

島津元久譜が、元久在京中に渋谷四か所衆が清敷を背いたこと、応永十八年に元久が鋒尾へ出兵したものの発病して鹿児島へ戻り、山西・大隅・南方の兵三千余騎を山北へ向けたことを記す記事。

登場人物
島津元久、渋谷四か所衆、島津久世、島津忠朝、山西・大隅・南方の軍勢
宛先
—
キーワード
島津元久譜、島津元久、渋谷氏、清敷、鋒尾、島津久世、島津忠朝、発病、鹿児島、三千余騎、山北
後編1-No.584文書確認度 中

細川藤孝書状

細川藤孝が喜入季久の帰国後、二度書状を送ったが届いたかを尋ね、京都は現在平穏だと知らせた書状。季久在洛中は多忙のため疎遠になったことを今も残念がり、今後こちらで用事があれば隔意なく申し付けるよう求め、十一日韻の懐紙を贈る。

登場人物
細川藤孝、喜入季久
宛先
喜入摂津介殿(喜入季久)
キーワード
細川藤孝書状、元亀二年、喜入季久、帰国、京都、平穏、疎遠、用向き、懐紙、贈答、文通
後編4-No.1840文書確認度 中

生島季盛書状

生島季盛が島津家久へ、皇子誕生の祝賀書状を八条宮の御前で披露し、懇切な祝意に八条宮が満足したと伝えた。また前年の家久在洛中にたびたび対面できたことも喜んでいると報じた書状。

登場人物
生島季盛、島津家久、八条宮、中宮、皇子
宛先
生島季盛
キーワード
生島季盛書状、島津家久、八条宮、皇子誕生、祝賀、在洛、対面、寛永元年正月二十九日
後編5-No.677記事確認度 中

児玉利昌譜

家久在府中、児玉利昌が始良(姶良)の地頭職と給米三十石を受けたこと、納殿役として近侍し現地へ赴けないため、三十二歳の子利実を遣わし、児玉吉兵衛らと支配に当たらせたことを記す児玉利昌譜の記事。

登場人物
児玉利昌、児玉利実、児玉吉兵衛、島津家久
宛先
―
キーワード
児玉利昌、児玉利実、児玉吉兵衛、島津家久、始良、姶良、地頭職、給米三十石、納殿役、近侍、支配
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 108覚書・関狩記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

吉田成芳覚書

島津綱久在国中の御関狩は風雨を問わず毎年行われたとし、延宝8年正月朔日から12日までの天候、登城、春山初御狩の触れ、近方・外城衆の罷立を記す覚書。

登場人物
吉田成芳、島津綱久
宛先
なし(覚書)
キーワード
吉田成芳覚書、島津綱久、春山初御狩、外城、天候
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P03-NIKAIDO-A014無番号家譜導入記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

管理表題:九導入記事14

泰行譜中の記事として、外祖父行久が泰行慈母へ所領を譲ったことを記す。 相模国大井庄内吉田嶋・薩摩国阿多郡北方・鎌倉の西御門入奥地を挙げる。 鎌倉宿所の倉納物と鎌倉内濱倉の半分地も挙げ、以来当家の領地となったと記す。 行久在判の譲状二通の正文を家蔵し、左に記すと述べる。

登場人物
行久、泰行慈母
宛先
—
キーワード
所領、譲状二通、吉田嶋、阿多郡北方、西御門、濱倉
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:26-1書状・出陣催促/系図・田代氏旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

島津元久書状

島津元久が田代殿へ、総国の大将軍として探題方へ馳せ参じるよう先日命じたのに辞退するのは分別がないと叱り、家格・人物・分限のいずれにも支障はないので早々に出立せよ、阿積谷殿を副将軍とすると命じた極月2日付書状。後半には田代氏の後続系譜を収め、元久代に河辺で36歳にて討死した人物と法名浄久、その子清玄以下、清久への田代六町分の譲与と元久判、清定の渡海、清光・立清らを記す。至清は忠昌代に加治木で36歳にて討死し、清千は勝久代に帖佐で47歳にて討死、丈清も勝久代に加治木で28歳にて討死したとする。清宣は豊久へ奉公を始め、清辰・清秀・清長・清良・清豊・清金・清房らへ続き、各人の通称・官途・生没年・法名・母方を付すほか、断絶した清安流を上田家が継いだこと、清次を田代伊右衛門の祖とすること、末尾では一人が吉川家の養子となったことを記す。

登場人物
島津元久、田代殿、阿積谷殿、清玄、清久、以久、清定、清光、立清、清明、好清、至清、忠昌、清親、清安、清千、勝久、清隆、丈清、清宣、豊久、清辰、清秀、清次、清長、清良、清永、清豊、清行、清金、清房
宛先
田代殿
キーワード
島津元久書状、田代殿、総国大将軍、探題、出立催促、辞退、家格、人物、分限、阿積谷殿、副将軍、極月2日、田代氏系譜、河辺討死、田代六町分、元久判、渡海、加治木討死、帖佐討死、忠昌、勝久、豊久奉公、上田家、田代伊右衛門祖、吉川家養子