林次長書状
(慶長八年)七月□「朔」日 / 冊子 900頁
林次長が本田六右衛門へ、秀頼の祝言が七月二十八日に決まり、忠恒の上洛は将軍から不要とされたと知らせる。忠恒に事情を伝えて上洛を見合わせ、翌春の上洛に備えるよう求めた書状。欠損箇所が多い。
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(慶長八年)七月□「朔」日 / 冊子 900頁
林次長が本田六右衛門へ、秀頼の祝言が七月二十八日に決まり、忠恒の上洛は将軍から不要とされたと知らせる。忠恒に事情を伝えて上洛を見合わせ、翌春の上洛に備えるよう求めた書状。欠損箇所が多い。
(元和五年)六月五日 / 冊子 703~704頁
本田親政・高崎能乗が京都から、家久の将軍への御目見得が済んだこと、八郎の礼儀が賞賛されたこと、贈答品の処置や銀子の不足などを喜入・比志島・三原へ報じた連署状。
(慶長八年)四月晦日 / 冊子 890頁
山口直友が忠恒の帰国を喜び、使者本田親政が持参した砂糖を家康へ披露して機嫌よく受納されたと報告する。家康の上洛・参内と諸大名の帰国、秀頼の祝言、忠恒の来秋上洛予定にも触れた。
年月日未詳 / 冊子 890頁
島津家久譜は、忠恒が帰国後、家康への謝礼が遅れたため本田与兵衛親政を使者として砂糖を献じたと記す。山口直友が本多正純を介して披露し、家康が喜んだのち親政が帰国して復命した。
(慶長八年)五月廿五日 / 冊子 894頁
山口直友が上方に変事はないと伝え、北賀州の下向や右馬頭の上洛について連絡する。七月の秀頼の祝言に諸大名が上洛するため、忠恒も祝言の時期に合わせて上洛するのがよいと勧めた。
(慶長八年)五月廿六日 / 冊子 895頁
昭高院如雪が本田六右衛門親政の伏見での働きと無事帰国を祝い、忠恒の来秋上洛を待つ。先に贈られた茶壺が宇治で称賛されたことを述べ、祈祷の巻数・扇箱を送り、花種の提供も頼んだ。
年月日未詳 / 冊子 896頁
島津家久譜は、家康が龍伯・忠恒へ与えた盟書と忠恒の伏見拝謁・無事帰国を受け、惟新が謝礼のため本田六右衛門親政を派遣した経緯を記す。山口直友の取次で親政は家康に拝謁し、懇命を受けて帰国・復命した。
(慶長八年)六月二日 / 冊子 896頁
山口直友が、惟新から派遣された本田六右衛門親政を家康へ披露し、親政が対面して懇ろな言葉を受けたと報告する。七月の秀頼の祝言に合わせ、忠恒も前後に急いで上洛するよう勧めた。
年月日未詳 / 冊子 342~345頁
慶長三年十月二十一日付の朝鮮在陣中の書状を起点に、新納忠元らが国許の軍勢・城郭を整えた働きと、朝鮮からの撤兵・帰国の経過をまとめた勲功記。明軍の攻勢に備えた薩摩・大隅・日向の動員、間者の捕縛、泗川・順天方面の戦況、海戦での敵船撃破と諸将の協力、帰路の唐島・西湾浦・博多・大坂・伏見への着岸を記し、留守中の防戦と迎船・兵站の功績を顕彰する。