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HP-1575巻12:219/巻13:239注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

平田宗秀

異名・検索語:平田宗秀/平田備中守宗秀/平田式部少輔宗秀/備中守/右京亮/式部少輔/民部少輔/宗秀/平田備中守宗秀/平田式部少輔宗秀

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:旧説明の帰順拒否・長男余二・子宗茂光宗を削除。十日余ニシテは期間で人名ではない。巻十二の法号悦山・加世田菩提院の系譜小注を宗秀の法名墓所へ転記しない。紫原の三月三日という割注と他条の年代異同は未校合。

DESCRIPTION

本文内容説明

安房介宗知の子。備中守、右京亮、式部少輔、民部少輔と称する。父の代から谷山山田を領し、皇徳寺後山の苦辛城に居城した。薩州家の川辺地頭とも記す。実久に仕えたが、天文八年三月の紫原合戦翌日、伊集院忠朗を頼り、貴久を苦辛城へ招いて降参した。翌日には城に番兵が入り、十日余りで神前城も貴久方の手に入った。別項では、日新公からの婚姻の勧めを再三断ったものの、それが薩州家に知られて処罰されるという風聞を受け、難を逃れるため貴久を招いたと説明する。天文二十三年十月十二日、岩剣で戦死した。

系譜・人物関係

父は安房介宗知。実久の譜代家臣。伊集院忠朗を頼って貴久へ降参。日新公の婚姻勧誘の逸話を伴う。

奉公・役職

谷山山田苦辛城主。薩州家の川辺地頭とする記載。

軍役・事績

天文八年三月、紫原合戦翌日に貴久を苦辛城へ招き降参。翌日番兵が入り、十日余で神前城も貴久方へ。

生没・法名等

天文二十三年十月十二日、岩剣で戦死。享年不記載。

統合人物ID
HP-1575
原人物ID群
12-219-02/13-239-14
氏・分類
平田
掲載巻頁
巻12:219/巻13:239
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
父は安房介宗知。実久の譜代家臣。伊集院忠朗を頼って貴久へ降参。日新公の婚姻勧誘の逸話を伴う。
検索キーワード
平田宗秀/備中守/右京亮/式部少輔/民部少輔/宗秀/平田備中守宗秀/平田式部少輔宗秀/谷山山田苦辛城主。薩州家の川辺地頭とする記載。/天文八年三月、紫原合戦翌日に貴久を苦辛城へ招き降参。翌日番兵が入り、十日余で神前城も貴久方へ。/天文二十三年十月十二日、岩剣で戦死。享年不記載。
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
公開判定根拠
既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
巻十二の本伝全2頁と巻十三の略伝全1頁を同じHP-1575に接続。後半の〇は宗秀の婚姻勧誘と降参の経緯で、新人物ではない。
判読保留
旧説明の帰順拒否・長男余二・子宗茂光宗を削除。十日余ニシテは期間で人名ではない。巻十二の法号悦山・加世田菩提院の系譜小注を宗秀の法名墓所へ転記しない。紫原の三月三日という割注と他条の年代異同は未校合。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』