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HP-1475巻12:223注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

比志島掃部介国詮

異名・検索語:比志島国詮/比志島掃部介国詮 河内守/掃部介/河内守/国詮

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:御用人帳には名なしとの本文注記。入道号の一部字形は要校合。

DESCRIPTION

本文内容説明

比志島掃部介国詮は孫四郎・河内守とも称し、入道号は晏木・休斎と読める。国親の二男で、兄が「乱心」して行方不明となったため家督を継いだ。義弘・家久に奉公して御用人となり、その後は義弘の隠居方家老を務めた。薩摩吉田の地頭にも任じられた。高麗供奉、元和七年の持高八百二十石の注記がある。正保四年五月十七日没、法号喜山永好庵主。嫡子左近国重は加治木家臣として別項に記される。

系譜・人物関係

国親の二男、国政の弟。嫡子は左近国重。二男国広は次項。

奉公・役職

義弘・家久の御用人、義弘隠居方家老、吉田地頭。元和七年持高八百二十石。

軍役・事績

高麗御供の注記。具体的軍功は記載なし。

生没・法名等

正保四年五月十七日没。法号喜山永好庵主。

統合人物ID
HP-1475
原人物ID群
12-223-07
氏・分類
比志島
掲載巻頁
巻12:223
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
国親の二男、国政の弟。嫡子は左近国重。二男国広は次項。
検索キーワード
義弘・家久の御用人、義弘隠居方家老、吉田地頭。元和七年持高八百二十石。/高麗御供の注記。具体的軍功は記載なし。/正保四年五月十七日没。法号喜山永好庵主。
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
公開判定根拠
既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID対応を確認。今回のPDF再精読は行っていない。本文無記載と未確定を区別し、疑義がある場合も注記して出典へ案内する。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
旧1頁内の「○比志島左近国重」を新枝番へ分離。国詮本文は全2頁化し、第1頁末「五月」に第2頁冒頭「十七日」が接続。
判読保留
御用人帳には名なしとの本文注記。入道号の一部字形は要校合。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』