本田親存・比志島国詮連署覚
慶長十四年七月朔日 / 冊子 225頁
慶長十四年七月一日、本田親存・比志島国詮が、大田吉兵衛忠綱の養子となった大田忠角に対し、奉公を疎略にせず父母に背かないこと、悪友を避け学問に励むこと、夫婦和合を守ることなど、日常の心得を列挙して遵守を命じた連署覚書。
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慶長十四年七月朔日 / 冊子 225頁
慶長十四年七月一日、本田親存・比志島国詮が、大田吉兵衛忠綱の養子となった大田忠角に対し、奉公を疎略にせず父母に背かないこと、悪友を避け学問に励むこと、夫婦和合を守ることなど、日常の心得を列挙して遵守を命じた連署覚書。
(元和四年)閏三月三日 / 冊子 668頁
本田親存・比志島国詮が、島津義弘が急に中風を患って手足が不自由となり押判を用いていること、越州から見舞いの使者が派遣されたことなどを報じた連署状。
(元和四年)閏三月廿二日 / 冊子 668~669頁
島津家久が、琉球からの年頭祝詞、宰相任官への使者による祝賀、遠路の方物を受け取り、その厚意に謝した書状。
年月日不記(明応四年の譲状などを系図内に記す) / 冊子 616~620頁/原整理番号 108
比志島源左衛門家の略系図で、冒頭に比志島氏九代の河内守義重の二男とし、義信が父義重から満家院郡山内の横瀬・宇都・坂口・満枝など二十町を譲り受け、明応四年九月の譲状があると記す。義住の郡山城での死や、蒲生・菱刈方面の戦功による大村地頭職、蒲生落城後の蒲生地頭職、島津義弘の朝鮮出兵に供奉した国政、関ヶ原の戦い後に泉州平野から大坂へ遣わされ、黒田氏の船と交戦して戦死した国家など、各代の軍歴・地頭職を載せる。国隆については家老職・高岡地頭を記す一方、罪により処刑され跡が断絶したとし、子の国安は赦免され国治の弟家を立てたと記す。国治の代には島津光久・綱久への奉公、参勤時の海路供奉や江戸城での御用、銀山・物産関係の役を挙げ、ほかに婚姻・養子、国廣の島津義弘元服時の脇指拝領と証状の存在も記す。所領譲状から戦功・家の断絶と再興、近世の奉公・職務へ続く点が、この略系図の特徴である。