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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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半頁~1頁程度。一つの用件をある程度詳しく記すもの、複数項目を含む目録・交名。
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1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

10 件 (全巻)/ 1–10件を表示

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前編2-No.918記事確認度 高

殉国名藪

応永二十年十二月七日の戦闘で佐多三郎九郎忠豊らが戦死したこと、北原彦次郎太郎・天辰式部二郎・遠矢某らの戦死や、小野村での戦闘に関する諸伝を記す殉死者記事。

登場人物
佐多三郎九郎忠豊、伊集院頼久、北原彦次郎太郎、天辰式部二郎、遠矢某
宛先
—
キーワード
殉国名藪、佐多忠豊、伊集院頼久、北原彦次郎太郎、天辰式部二郎、遠矢、応永二十年、東福寺城、小野村、戦死
前編2-No.2400文書確認度 高

犬追物手組

島津貴久が川上武蔵守に示した犬追物の手組で、相模守入道以下の射手を各組に分け、騎射の順序と役割を定めた。

登場人物
島津貴久、川上武蔵守、相模守入道、三郎左衛門尉、嶋津三郎九郎
宛先
川上武蔵守殿
キーワード
犬追物手組、島津貴久、川上武蔵守、騎射、射手、手組、天文九年
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 176-3記事旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

伊地知季安の記事。この日、吉利三郎九郎久が天草から帰国したことを記す。

登場人物
吉利三郎九郎久
宛先
宛先なし(伊地知季安記事)
キーワード
伊地知季安、吉利三郎九郎久、天草、帰国、二月十日
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 535覚書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

天草覚書

『天草覚書』は、寛永十八年から天草が代官鈴木三郎九郎の支配となり、同年九月十一日の奉書によって富岡在番を細川越中守へ命じたと記す。目録年月日は空欄のため、本文の九月十一日はB列へ補入しない。

登場人物
鈴木三郎九郎、細川越中守
宛先
宛先記載なし
キーワード
天草覚書、寛永十八年、代官、鈴木三郎九郎、天草支配、九月十一日、奉書、富岡在番、細川越中守、目録日付空欄
旧記雑録拾遺 著作史料集6-文書ID C::77文書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

犬追物手組

天文九年十一月二十三日の犬追物手組。三郎左衛門尉殿三十三疋、島津淡路守一疋、島津三郎九郎一疋などの犬数を列記し、検見を島津武蔵守、喚次を比志島彦三郎とする。

登場人物
三郎左衛門尉殿、島津淡路守、島津三郎九郎、伊地知式部太輔、島津武蔵守、比志島彦三郎ほか
宛先
宛先なし(手組)
キーワード
犬追物手組、犬追物、手組
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 803人数賦・天草軍衆の組別内訳と除外人数旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

天草立軍衆人数賦

出水米之津と黒之戸で定めた天草出陣人数を、久元3,707人、久賀3,609人、久加3,692人、浮衆・船奉行と廻り245人、兵糧渡衆15人、総計11,268人とする。人躰5,235人、卒者・夫丸6,033人に分け、先に島原へ渡った衆や諸湊から直接渡海した者、未着者など、人数不明・除外の事情を細記する。寛永十五年正月十九日、賦所二名が花押を据え、相良ら四名に宛てる。

登場人物
島津下野守久元 島津豊後守久賀 北郷佐渡守久加 吉利三郎九郎 曽木甚右衛門 町田五右衛門 猪俣為右衛門 村田郷左衛門 相良杢助 伊東二右衛門 鎌田源左衛門 喜入久右衛門 鹿児島衆 諸外城衆 船奉行 兵糧渡衆
宛先
相良杢助 伊東二右衛門尉 鎌田源左衛門尉 喜入久右衛門尉
キーワード
人数賦 11268 人躰5235 卒者夫丸6033 組別 除外 未確定 直接渡海
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w7:19系図・平田狩野之助家先祖由緒/軍功・知行記録旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

平田狩野之助先祖之次第

平田重宗から分かれたと伝える狩野之助家の系譜・軍歴・知行記録。筑前守宗勝は日州福島で戦死し、日置美濃守久遂の二男・出羽守宗仍は末吉地頭として居住した後、貴久に召し出され先代同様に家老職を務め、永禄元年三月十九日の肝付勢との宮ヶ原合戦で子の虎五郎と家人六名とともに戦死した。弘治二年生まれの平次郎狩野之助は七歳で北郷家へ付され、のち鹿児島へ戻って日州本城地頭・近村五十余町を与えられ、肥後・豊後、豊臣秀吉の九州攻め、庄内の戦いで奉公したが、慶長五年九月十五日に関ヶ原で四十五歳で戦死した。二男源太は飫肥方面の戦いで福島内市木にて戦死し、宗弘は宗應の跡を継いで羽月・日州野尻の地頭を務めたことまで記す。

登場人物
平田重宗、平田筑前守宗勝、平田出羽守宗仍(初名久能)、日置美濃守久遂、平田正宗、平田又拾郎、貴久公、平田虎五郎(新左衛門尉)、竹之下孫七郎、鍋倉三郎九郎、川野左近、池山弥次郎、嘉川神五、厚地孫八、平田虎五郎(平次郎・狩野之助)、北郷殿、豊臣秀吉、平田源太(新介)、平田宗親(喜左衛門)、平田宗公(新介・三兵衛)、平田宗清(新介・弥一左衛門)、平田宗弘(平三・狩野之助)、宗應
宛先
—
キーワード
平田狩野之助先祖之次第、平田重宗、宗勝、日州福島、戦死、宗仍、日置美濃守久遂、末吉地頭、家老職、宮ヶ原合戦、肝付勢、虎五郎、家人六名、平次郎狩野之助、北郷家、日州本城地頭、五十余町、肥後・豊後、豊臣秀吉九州攻め、庄内、渡瀬砦、関ヶ原合戦、源太、市木、宗弘、羽月地頭、野尻地頭
旧記雑録拾遺 著作史料集9-文書ID W07_文書0002-13抄録旧記雑録拾遺暫定版確認度 低

山田聖榮自記

屋形で敵を迎えた小十文字太刀の番衆が討死し、武具を持たない者が竹帚で抵抗したとする記事を引く。続いて膝丸・吠丸・髭切などの呼称と伝来を、頼光の鬼退治・蜘蛛切、熊野の教眞、義朝・頼朝の授受などの伝承から論じる。季安は銘・寸法・年月や複数の刀の混同を点検し、物語や口碑だけでは決め難いとする。総州家の忠朝入道道聖が相伝を詳しく知り、聖榮の書留や古系図と符合するという考えで結ぶ。

登場人物
山田聖榮、北原、伊集院、吉田、蒲生、佐多三郎九郎、伊地知新左衛門、頼光、頼基、義家、白河帝、教眞、頼朝、義朝、義久、勝久、田中五右衛門、伊久
宛先
—
キーワード
山田聖榮自記、屋形襲撃、護衛者の討死、竹帚での抵抗、膝丸と吠丸、鬼丸蜘蛛切、小鳥友切、源氏重宝、九州鍛冶、伝来考証
後編1-No.711文書確認度 高

吉利氏系図

吉利氏の下総守忠澄の子孫を掲げ、三郎九郎長住・顧金らの名と花押を記す。長住は天正元年十一月十三日生まれで、母は上井武蔵守為秋の娘とし、忠紹は天正十六年生まれとする。

登場人物
吉利長住、吉利顧金、深水信濃守、赤池伊豆守、東郷正忠、上井武蔵守為秋
宛先
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キーワード
吉利氏系図、吉利長住、吉利顧金、上井為秋、天正元年、誕生、花押