後編6-No.263文書確認度 高
内山兼成覚書
寛永十九年六月廿九日 / 冊子 203頁
内山兼成が、諸国の人民が疲弊しているため、百姓をいたわり、作毛不良による翌年の飢饉に備えて倹約するよう命じた覚書。百姓の年貢について損毛を口実に未進しないこと、定役以外の使役を避けること、五穀を無駄にしないこと、翌年から本田畠で煙草を作らないことなどを侍・町人・百姓へ厳命する。
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寛永十九年六月廿九日 / 冊子 203頁
内山兼成が、諸国の人民が疲弊しているため、百姓をいたわり、作毛不良による翌年の飢饉に備えて倹約するよう命じた覚書。百姓の年貢について損毛を口実に未進しないこと、定役以外の使役を避けること、五穀を無駄にしないこと、翌年から本田畠で煙草を作らないことなどを侍・町人・百姓へ厳命する。
年月日未詳 / 冊子 105~111頁/原整理番号 21-1
冒頭に大原・平野・住吉三社を御姓神として本地仏と祖先下向以来の守護祈願を掲げ、兼経以下の肝付・萩原諸流を展開する神名書上兼系図。中世部では兼元の応永十七年島津元久上洛供奉・足利義持拝謁・河内守任官・加治木陣没、萩原城・萩原館・萩原庄主、高崇寺・帝釈寺などを記す。近世部では兼隆・兼義の川辺から加世田への移住と島津忠良への奉公、島津義弘の飯野移住への供奉・七十三石拝領、兼通の飯野から出水・軸谷外城への移住と物主役、禁制宗旨を理由とする宝暦五年の出水から高山への移住を述べる。末尾は高山新留村・下之門・宮下村の居住を経て、甚五左衛門が寛政十年十一月十三日に三十四歳で高山を出奔し、家系が断絶したことを記す。