HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
伊地知重賢
異名・検索語:伊地知重賢/伊地知新助重賢/新助/又八/左京/三浦新助/重賢
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
家嫡名は重順と読めますが確定を留保します。戸次城攻めの月字は判読しにくく、従来説明の二月七日を確定日付として使用していません。家系小注の詳細な関係も留保しています。十三歳は家嫡の年齢です。
DESCRIPTION
本文内容説明
伊地知重賢は新助を称し、初め又八、左京、また三浦新助とも記される。天文二十二年生まれ。天正九年の水俣出陣では、十三歳で出陣した家嫡の重順(名は判読留保)に付き、後見として軍労を重ねた。同十四年の豊後入りにも従い、戸次城攻めで軍功があったと記す。家系注には子孫の伊地知伝兵衛が挙げられる。本人の知行・没年月日・没地・法名は明記されない。
系譜・人物関係
新助。初又八・左京、三浦新助とも。十三歳の家嫡重順(名留保)を後見。子孫伊地知伝兵衛。家系小注の詳細は留保。
奉公・役職
天正九年水俣御陣之時、家嫡重順十三歳で出陣したため重賢が後見として罷り立ち軍労。十三歳は家嫡の年齢であり、本人の年齢ではない。
軍役・事績
同十四年豊後入之時モ罷立、戸次城攻之時軍労。従来の二月七日の月字は確定できず、本文説明では月日を断定しない。後見記事と豊後出陣は見出し重賢本人の事績。
生没・法名等
天文廿/二年生ルと列を跨いで続き天文二十二年生と読める。本人の没年月日・没地・法号・知行は明記なし。
- 統合人物ID
- HP-0071
- 原人物ID群
- 01-008-03
- 氏・分類
- 伊地知
- 掲載巻頁
- 巻1:8
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 新助。初又八・左京、三浦新助とも。十三歳の家嫡重順(名留保)を後見。子孫伊地知伝兵衛。家系小注の詳細は留保。
- 検索キーワード
- 伊地知重賢/新助/又八/左京/三浦新助/天文二十二年/天正九年/水俣/後見/家嫡/十三歳/天正十四年/豊後/戸次城/軍労/伊地知伝兵衛
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI用PDF全1頁を追加精読し原冊8頁・拡大と照合、前後境界を確認済み
- 公開判定根拠
- AI全1頁と原冊拡大を照合。天文二十二年生、家嫡後見、水俣・豊後・戸次城での軍役を具体化。日付・系譜の疑義を示し記載箇所へ案内できるため注記付き公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 原冊8頁上段、一伊地知新助重賢から戸次城攻之時軍労まで。右小注・出生年の列跨ぎ・左端時軍労がAI全1頁に保持される。直前太郎兵衛と直後重宗の混入なし。家嫡の後見は本人事績で新規別人見出しではない。新番号・PDF修復不要。
- 判読保留
- 家嫡名は重順と読めるが最終確定を留保。/戸次城攻めの月字は判読留保。従来説明の二月七日を確定日付として使用しない。/家系小注の季富・持季・重元と重賢の関係は係り受けを含め留保。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』