HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
伊集院久族
異名・検索語:伊集院久族/伊集院遠江守久族/源助/源左衛門/久供
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:寛永五年病と次列家以下の接続・意味。死亡年を補わない。/諱久洪と見える異記、長い家系小注の細字・世代接続。 本文に記された内容と確定した事実を同一視せず、出典も併せて確認してください。
DESCRIPTION
本文内容説明
伊集院久族は遠江守、源助・源左衛門を称し、久春の子。天正十三年八月、肥後堅志田・甲佐方面で敵約八百人が川向こうへ出た際、父と川を渡って戦い、自ら一人を討った。翌年の高森城攻めでは二人を討ち取った。十五年には豊後の切加部からの撤退で追撃を退け、三月二十七日の敵陣攻撃でも自ら三人を討ったと記す。飯野地頭職を父から継ぎ、朝鮮へ渡海した。泗川の戦いで朱威の鎧を用いたとの注記がある。寛永五年の病に関する記載はあるが、続く語句の解釈は保留で、没年とは断定しない。末尾は忠能入道久孝からの家督譲受と一族の系譜に関する付記である。
系譜・人物関係
久春子。源助・源左衛門、久供および久洪と見える諱異記あり、久洪字形保留。忠能入道久孝から譲り受けた家の兼帯記事に続き一族系譜を記す。末尾忠能譲家嫡於久族故ニ忠能カ子治部少輔久述為久族之弟、子孫谷山ニアリの関係記事。独立した新伝ではない。旧忠龍表記を忠能に照合訂正する対象。
奉公・役職
遠江守、源助・源左衛門。飯野地頭職、父引続朝鮮渡海という記載。泗川ノ戦朱威の朱注に鎧着用と添える。旧説明は父を継ぐ地頭職と鎧注が不足。
軍役・事績
天正十三年八月肥後堅志田甲佐方面、甲佐より敵八百計が河向こうへ出たところ久族父同前に川を渡り、自身敵一人打留。十四年肥後高森城攻落で自身二人打取。十五年豊後で軍労、切加部から引陣のとき敵襲来を追退。三月二十七日敵陣を破り敵数百人を討つ中、本人久供は三人打留。敵数百人を本人単独討取人数にはしない。
生没・法名等
寛永五年病とあり、次列冒頭は家筑前守忠能入道久孝之受譲嫡家兼帯と続く。原冊4頁/PDF15頁にも病死の続きはなく、病から没年を確定しない。没地・法名・墓所は本文明記なし。
- 統合人物ID
- HP-0035
- 原人物ID群
- 01-003-01
- 氏・分類
- 伊集院
- 掲載巻頁
- 巻1:3
- 主題・活動
- 軍功・飯野地頭継承・朝鮮渡海・家督譲受
- 人物関係要約
- 久春子。源助・源左衛門、久供および久洪と見える諱異記あり、久洪字形保留。忠能入道久孝から譲り受けた家の兼帯記事に続き一族系譜を記す。末尾忠能譲家嫡於久族故ニ忠能カ子治部少輔久述為久族之弟、子孫谷山ニアリの関係記事。独立した新伝ではない。旧忠龍表記を忠能に照合訂正する対象。
- 検索キーワード
- 伊集院/久族/遠江守/源助/源左衛門/久供/久春/堅志田/甲佐/高森/豊後/切加部/飯野/地頭/朝鮮/泗川/朱威/鎧/寛永五年/病/忠能/久孝/久述/谷山
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI用PDF全頁精読・境界確認済み(判読保留あり)
- 公開判定根拠
- 全頁精読・境界確認済み。記載箇所に案内できるため、判読・系譜等の留保を注記して公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁精読・原冊境界照合
- 本文境界判定
- 冊子3頁下段の〇伊集院遠江守久族から軍歴・地頭・渡海・鎧注・寛永五年病と家督系譜の末尾子孫谷山ニアリまでAI全1頁。左端小注を復元し久春和歌・久次記事の混入なし。系譜は関連記事、新番号不要。次の冊子4頁は久次関連記事で久族の続きなし。
- 判読保留
- 寛永五年病と次列家以下の接続・意味。死亡年を補わない。/諱久洪と見える異記、長い家系小注の細字・世代接続。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』