HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
伊佐敷久基
異名・検索語:伊佐敷久基/伊佐敷平兵衛久基/平兵衛/久基/小吉/小左衛門/佐多久基/天応法清庵主
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
DESCRIPTION
本文内容説明
伊佐敷久基は平兵衛を称し、初名は小吉・小左衛門。前項の左近将監久理の子。幼くして父を失い、久慶を頼って知覧に住んだ。のち太守公から采地百石を与えられて出水へ移り、その後は伊作または鹿児島に居住し、再び知覧士となった。佐多忠光の許可を得て佐多氏を称したと記される。慶長2年には佐多久慶の軍代として佐多久英に付き、朝鮮へ渡海した。寛永12年4月4日に54歳で没し、法号は天応法清庵主。没地・墓所は記載されていない。
系譜・人物関係
前項01-021-03末尾の其子に続く久理の子。初小吉・小左衛門、平兵衛。幼時に父を失い久慶を頼る。佐多忠光の許可で佐多氏を称す。本人の子の記載はない。
奉公・役職
幼くして父を失い久慶を頼って知覧に居住。太守公から采地百石を給され出水へ移住。その後伊作或鹿児島に居住し、再び知覧士となる。佐多忠光の免許で佐多氏を称す。太守公の実名は補わない。
軍役・事績
慶長2年、佐多久慶の軍代として佐多久英に相付し朝鮮へ渡海。従来説明の久慶に従うを訂正。特定の合戦名や戦功は記されない。伊作を補い、有児島を鹿児島へ訂正。
生没・法名等
寛永12年4月4日、54歳で卒。月日は朱注四月四日であり、閏月との追加はしない。法号天応法清庵主。索引欄の大応を天応に訂正。没地・墓所は記載なし。
- 統合人物ID
- HP-0025
- 原人物ID群
- 01-021-04
- 氏・分類
- 伊佐敷
- 掲載巻頁
- 巻1:21
- 主題・活動
- 知行・移住・改姓・朝鮮渡海
- 人物関係要約
- 前項01-021-03末尾の其子に続く久理の子。初小吉・小左衛門、平兵衛。幼時に父を失い久慶を頼る。佐多忠光の許可で佐多氏を称す。本人の子の記載はない。
- 検索キーワード
- 伊佐敷久基/平兵衛/小吉/小左衛門/伊佐敷久理/佐多久慶/佐多忠光/佐多久英/知覧/出水/伊作/鹿児島/百石/佐多氏/慶長二年/軍代/朝鮮渡海/寛永十二年四月四日/五十四歳/天応法清庵主
- 公開区分
- 公開可
- 精読・確認状況
- AI・通常各全2頁と原冊上下段を確認。移住先・軍代として付く人物・没年月日と法号を照合。
- 公開判定根拠
- 人物の系譜・移住・佐多改姓・朝鮮渡海・没年法号を確認し、前後記事混入なく公開可。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 現用AI・通常各全2頁を原冊21頁の上下段と照合。第1頁末尾の太から第2頁冒頭の守公へ続く。前項末尾其子から続く久理の子久基の経歴であり、旧来の別記事IDを維持する。第2頁末尾法号天応法清庵主までが本人記事。後続の一伊佐敷又九郎猛久は既存01-021-05であり、新規番号不要。余白は大きいが本文・小注の欠落と前後記事混入は認めず、両PDFを変更しない。
- 判読保留
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出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』