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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

9 件 (全巻)/ 1–9件を表示

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後編3-No.1176記事確認度 高

川上忠兄譜

関ヶ原合戦で味方が敗れ退却しようとした際、大軍が襲来したため、川上忠兄の家臣柏田源藤が先頭の将へ鉄砲を放ち、弾を受けた大将が落馬したと記す。敵軍がその将を救う間隙に一同が危地を脱し、後に撃たれた将が井伊直政であったと聞いたとする。刊本は「柏田源藤」と表記し、『本藩人物誌』巻五では「柏木源藤」と記す。

登場人物
川上忠兄、柏田源藤、井伊直政
宛先
該当なし
キーワード
川上忠兄譜、関ヶ原合戦、退却戦、柏田源藤、鉄砲、井伊直政、落馬、危地脱出、柏木源藤(本藩人物誌)
後編4-No.350文書確認度 中

川上忠兄・伊勢貞成連署知行目録

慶長十二年閏四月二十八日、川上忠兄と伊勢貞成が薩州阿多新山村内の御祓田之門、高六十石余を蒔絵屋彦七に与えた連署知行目録。

登場人物
川上忠兄、伊勢貞成、蒔絵屋彦七
宛先
蒔絵屋彦七
キーワード
川上忠兄、伊勢貞成、知行目録、阿多新山村、御祓田之門、蒔絵屋彦七、六十石
後編3-No.1402記録確認度 高

長野勘左衛門由来書覚書抜

長野勘左衛門は上方の異変を聞き、借銀して武具を整え、出水から大坂・伏見を経て関ヶ原へ赴いた。徳川家康の大軍を夜襲するため百五十人を三手に分ける案を川上忠兄へ進言し、中馬大蔵丞には自分が討死した後も義弘を背負ってでも帰国させるよう託した。九月十五日の戦闘では敵首を挙げた後、再び大軍へ突入して戦死したと伝える。

登場人物
長野勘左衛門、島津義弘(惟新)、中馬大蔵丞、川上忠兄、平山九郎左衛門
宛先
該当なし
キーワード
長野勘左衛門由来書覚書抜、長野勘左衛門、島津義弘(惟新)、中馬大蔵丞、川上忠兄、関ヶ原、夜襲案、徳川家康、敵首、主君護衛、戦死
後編3-No.1400記録確認度 高

関ケ原戦書抜中馬大蔵丞由来書出

中馬大蔵丞は出水から関ヶ原の急を聞き、九州路を昼夜兼行して合戦前に島津義弘(惟新)のもとへ着いた。敗戦後は少人数となった義弘を守り、伊勢・近江・伊賀・大和・河内を経て住吉まで退却し、野宿や絶食の中で宿所を巡回した。この奉公により感状と知行五十石を与えられた。

登場人物
中馬大蔵丞、島津義弘(惟新)、長野勘左衛門、川上忠兄
宛先
該当なし
キーワード
関ケ原御一戦書抜、中馬大蔵丞由来書出、中馬大蔵丞、島津義弘(惟新)、長野勘左衛門、川上忠兄、出水、関ヶ原、退却、住吉、感状、五十石
後編3-No.1406記録確認度 高

大重平六覚書

大重平六が十四歳で島津義弘(惟新)の朝鮮出兵に供奉した覚書。慶長三年、泗川付近で明軍約二十万が城へ迫るなか、義弘は鉄砲を控えさせて機を待ち、城外へ斬り出して大軍を崩した。敵首三万八千七百余を集め、のち撤退時には小西行長救援や番船との戦闘があり、奪われた義弘の馬印を黒田宅右衛門が敵船から奪還した。

登場人物
大重平六、島津義弘(惟新)、島津忠恒(家久)、川上忠兄、菱刈源兵衛、黒田宅右衛門
宛先
該当なし
キーワード
大重平六覚書、大重平六、島津義弘(惟新)、島津忠恒(家久)、朝鮮出兵、泗川、明軍、鉄砲、敵首、川上忠兄、菱刈源兵衛、小西行長、黒田宅右衛門、馬印
附録2-No.1328記事確認度 高

川上氏系図抄(五)

川上忠興の子忠智を祖とする支流系図。忠智が栗野・馬越・蒲生地頭と家老を務め島津義弘に従軍したこと、忠堅が島原で龍造寺隆信を討つ軍功後に鷹取城で戦死したこと、忠兄が朝鮮役で功を立て父に代わり家老となったことを記す。

登場人物
川上忠智、川上忠堅、川上忠兄、島津義弘、龍造寺隆信
宛先
—
キーワード
川上氏、川上忠智、川上忠堅、川上忠兄、島津義弘、龍造寺隆信、栗野、馬越、蒲生、島原、鷹取城、朝鮮出兵、家老、系図
附録1-No.468文書確認度 高

川上忠兄書状

川上忠兄が入来院又五郎に、仮屋所を進上されたことを受け、その掃除料として水田十町を加えると通知した書状。水田の所在は翌春に坪付をもって示すので、まずは承知しておくよう伝える。

登場人物
川上上野介忠兄、入来院又五郎
宛先
入来院又五郎殿御宿所
キーワード
川上忠兄、入来院又五郎、仮屋所、掃除料、水田十町、坪付、給地、知行
後編3-No.1399記事確認度 高

新納忠元勲功記

新納忠元の勲功記から、慶長五年の庄内合戦終結、伊集院忠真の降伏、上杉征討、岐阜城・竹ヶ鼻での石田三成方の敗北、関ヶ原本戦と島津義弘(惟新)の敵中突破・退却、大坂の夫人方救出と海路帰国を詳述する。帰国後の稲津掃部の動きや伊東方への備え、肥後の加藤清正への警戒、大口の地頭職と千石加増までを時系列に記録する。

登場人物
新納忠元、島津義弘(惟新)、島津忠恒(家久)、島津義久(龍伯)、伊集院忠真、長寿院盛淳、川上忠兄、稲津掃部、加藤清正、石田三成
宛先
該当なし
キーワード
新納忠元勲功記、新納忠元、島津義弘(惟新)、島津忠恒(家久)、伊集院忠真、庄内合戦、上杉征討、石田三成、岐阜城、竹ヶ鼻、石田勢七千、関ヶ原、敵中突破、大坂、堺、夫人救出、稲津掃部、加藤清正、大口、千石加増
島津世禄記-A38記事関連史料(外伝)確認度 高

義弘主強与石田之謀事

関ヶ原合戦で義弘が石田三成方に属し、敗戦後に敵中突破して帰国した経過を記す。義弘は本来、家康と秀頼への忠節・相互不害を誓う起請文を交わし、伏見城を守ろうとしたが、鳥居元忠・内藤家長に入城を拒まれ、身を守るためやむなく石田方へ加わったと弁明される。九月十五日の関ヶ原では小早川勢の寝返りで西軍が崩れ、島津勢は二百人に満たない小勢となった。正面突破の退却で島津豊久が身代わりとなって戦死し、阿多盛淳も義弘を名乗って敵を引き受ける。川上忠兄弟らは追撃する赤備えの将を鉄砲で落馬させ、義弘を近江・伊勢・伊賀・大和・河内から住吉・大坂へ逃す。大坂では義久の娘、忠恒の母ら人質を船に乗せ、薩摩へ帰還した。西軍加担を義弘の本意ではないと説明しつつ、退き口での家臣の犠牲と武勇を顕彰する記事である。

登場人物
島津義弘、徳川家康、石田三成、島津豊久、阿多盛淳、鳥居元忠、内藤家長、小早川秀秋、井伊直政、川上忠兄弟、小西行長、安国寺恵瓊
宛先
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キーワード
関ヶ原合戦、島津の退き口、伏見城、石田三成、豊久戦死、人質救出