後編2-No.365書状確認度 高
重頼・野村良綱連署状
天正15年7月17日 / 冊子 351頁
重頼・野村良綱が上井覚兼へ、秀吉の下向後、大隅国が島津義弘へ与えられたため、末吉・財部も大隅の内として義弘から改めて給付されると伝えた連署状。その安堵の保証として北郷忠虎を人質に上洛させ、公役として在京させるよう関白の朱印が出たこと、上井村は当地で保護することを知らせる。
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天正15年7月17日 / 冊子 351頁
重頼・野村良綱が上井覚兼へ、秀吉の下向後、大隅国が島津義弘へ与えられたため、末吉・財部も大隅の内として義弘から改めて給付されると伝えた連署状。その安堵の保証として北郷忠虎を人質に上洛させ、公役として在京させるよう関白の朱印が出たこと、上井村は当地で保護することを知らせる。
天正四年八月十九日・十月朔日 / 冊子 489~490頁
高原城合戦で天正四年八月十九日に戦死した三原重房・入佐郷久震・野村良綱・四本半忠次・宮原越中守らを列記する。続いて十月朔日の南郷合戦で戦死した新納忠氏・忠盈、安楽兼治・兼清らも収める。
永禄7年~寛永20年 / 冊子 195頁/原整理番号 114
山崎地頭美作守利綱の子良綱について、永禄7年の出生から島津義久・義弘・家久三君への奉仕、家流兵術の相伝、寛永20年の死去を記し、章綱・充綱へ続く系統を示す略系。
(慶応二年)三月 / 冊子 5~6頁/原整理番号 7
伊地知季安が前掲条書の蔵人を伊集院久近、美作守を野村良綱と推定し、両人の兵道の師や伝書に触れる。国分金剛寺の御ほろと、伊作大汝八幡社の白母衣を包む二重の錦袋を検討し、その母衣が古くからの伝来品か義久の新製品かはなお吟味を要すると述べる。