羽作か瀬合戦従軍者交名
永禄十一年正月廿日~三月廿三日 / 冊子 186頁
永禄十一年正月二十日の羽作瀬合戦で戦功を挙げた将兵を中心に、その後の大口・曽木方面の戦闘参加者を併記した交名。義弘・歳久の退却を支えた遠矢良堅、財部盛弘、入来院筑後守、伊集院久治ら、二月二十八日の小苗代原で戦った忠元・兼寛ら、三月二十三日の曽木城防衛・永福寺口守備の人々を列挙する。
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永禄十一年正月廿日~三月廿三日 / 冊子 186頁
永禄十一年正月二十日の羽作瀬合戦で戦功を挙げた将兵を中心に、その後の大口・曽木方面の戦闘参加者を併記した交名。義弘・歳久の退却を支えた遠矢良堅、財部盛弘、入来院筑後守、伊集院久治ら、二月二十八日の小苗代原で戦った忠元・兼寛ら、三月二十三日の曽木城防衛・永福寺口守備の人々を列挙する。
永禄十一年正月廿日 / 冊子 182頁
永禄十一年正月二十日、大口城の球磨・葦北・八代勢が城外へ出たため、義久・義弘が戦おうとしたが、貴久は無評議の出勢を軍法に反するとして川上久朗に制止させた。すでに先陣が接戦していたため久朗・義弘が殿となり、別府安芸守ら敵の先鋒と激戦した。久朗は七箇所の深手を負い、義弘も諸将と退路を支え、義久・貴久の援軍到着によって曽木へ退いた。
永禄十一年正月廿日 / 冊子 182~183頁
永禄十一年正月二十日、義弘が少数の精兵で大口方を誘い出して戦った経過を記す。敵先鋒の別府安芸守らに対し義弘が弓で応戦し、川上久朗も奮戦して重傷を負った。島津軍が退く際、義弘は殿となって追撃兵を繰り返し退け、歳久・伊集院久治らの来援で曽木城へ退却した。貴久は援軍を率い、進まなかった梶原某を追放した。
永禄十一年正月廿日 / 冊子 189~190頁
永禄十一年正月二十日、馬越から出た島津勢が大口方と羽作瀬で戦った経過を詳述する。川上久朗が飛田瀬で奮戦して戦死したと伝え、義弘は弓で敵先手を退けて味方を渡河させ、自ら殿を務めた。追撃兵の長槍を甲に受けながら多数を討ち、義久・貴久の援軍到着によって敵が退いた。長野仲左衛門尉・下島甚左衛門尉らの戦死や梶原某の追放も記す。
永禄十一年正月廿日 / 冊子 190~191頁
永禄十一年正月二十日の大口・羽作瀬合戦を詳述する。川上久朗が飛田瀬で敵を支え、義弘は弓で応戦しながら殿を務め、難所の大河を渡った。追撃兵に囲まれた義弘は甲に多数の鑓を受け、家臣に助けられて渡河し、長野仲左衛門尉・下島甚左衛門尉らが戦死したが、義久・貴久の援軍到着により敵は退いた。
元亀三年三月廿三日・五月四日 / 冊子 266頁
元亀三年の殉死・戦死者を列記する。三月二十三日に島津貴久を慕って南林寺前の海に入水した平田純貞を掲げ、五月四日の木崎原合戦で戦死した鎌田大炊助政高・鎌田源三・野田越中坊・有馬豊前兵衛純秀・前田主税助範春・富永刑部左衛門・曽木播磨守重治ら多数の名を収録する。