島津義弘(惟新)譜
年月日未詳 / 冊子 591-592頁
義弘一行が九月二十七日に芸州を出船し、二十九日に細島へ着いたことに関連して、薩摩船三艘が豊前・豊後沖で黒田如水方の船勢に追われ、捕獲されて男子は討たれ、女性・子供は生け捕られたとの風説を記す。続いて柚木崎丹後の子・次郎右衛門へ父の勇敢を賞して三十石を与え高岡に居住させたこと、関ヶ原敗戦後に蒲生新城を築き赤塚源太左衛門を城番としたことを記す。
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年月日未詳 / 冊子 591-592頁
義弘一行が九月二十七日に芸州を出船し、二十九日に細島へ着いたことに関連して、薩摩船三艘が豊前・豊後沖で黒田如水方の船勢に追われ、捕獲されて男子は討たれ、女性・子供は生け捕られたとの風説を記す。続いて柚木崎丹後の子・次郎右衛門へ父の勇敢を賞して三十石を与え高岡に居住させたこと、関ヶ原敗戦後に蒲生新城を築き赤塚源太左衛門を城番としたことを記す。
年月日未詳 / 冊子 652-654頁
九月十四日の大垣出陣から関ヶ原合戦、島津義弘(惟新)勢の敵中突破と帰国までを詳述する。大谷吉継勢の崩壊後に東軍を切り抜け、大垣の火災を見て伊勢路へ向かい、横山久内が義弘の鎧を着て運んだ。信楽・平野・住吉を経て船に乗り、豊後沖では黒田方の兵船と戦って死傷者を出したが、細島・佐土原などを経て十月二日に帖佐へ帰着した。
年月日未詳 / 冊子 691-698頁
関ヶ原前日の布陣から本戦、島津義弘(惟新)の敵中突破と伊勢路への退却を、黒木左近兵衛・平山九郎左衛門らの証言で整理する。島津豊久(中務大輔)・山田有栄・木脇休作らの戦闘、伊吹山方面での義弘との合流、殿軍の交替、住吉・堺での潜伏と出船、大坂の夫人方の救出、豊後沖での船団被害、十月三日の帰着までを詳述する。
年月日未詳 / 冊子 705-707頁
大重平六の覚書から、関ヶ原敗戦後の島津義弘(惟新)の敵中突破、駒野・伊賀・信楽を経た退却、住吉・堺での潜伏と出船を記す。横山休内は義弘の鎧を着て持ち帰り、本田源右衛門らは危機に際して身代わりを申し出た。海路では豊後沖で船団に被害が出たが、義弘は細島・佐土原・八代を経て十月三日に帖佐へ帰着した。