島津道壱譲状
建徳二年五月廿七日 / 冊子 57頁
島津道壱(親忠)が若次郎丸へ、伊作庄南方の日置吉利田島・熊枯田に属する田畠、山野、川海の権益を永代譲与した譲状。重代相伝の所領を一括して継承させ、若次郎丸の知行と後代への相続条件を定めて、他者の妨害を防ごうとする。
SEARCH THE ARCHIVE
『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
7 件 (全巻)/ 1–7件を表示
ページ 1 / 1
建徳二年五月廿七日 / 冊子 57頁
島津道壱(親忠)が若次郎丸へ、伊作庄南方の日置吉利田島・熊枯田に属する田畠、山野、川海の権益を永代譲与した譲状。重代相伝の所領を一括して継承させ、若次郎丸の知行と後代への相続条件を定めて、他者の妨害を防ごうとする。
応永廿二年十月十四日 / 冊子 292頁
将軍足利義持が島津鍋次郎丸の加冠に関して発給した御教書。本文は正文所在、年紀、将軍御判と加冠対象の注記を中心とする。
貞治三年七月廿五日 / 冊子 40頁
北郷道明が犬太郎丸へ日向国北郷三分一を永代譲与し、公方御公事は惣領宮次郎丸の支配と先例に従って勤仕させることを定めた譲状。
元亨三年六月日 / 冊子 500頁
渋谷次郎丸代惟朝が、伯父弥四郎重経は入来院塔原郷内田薗を証文なく押領し、二度の御教書にも参陳しないとして、違背を処罰し所務を回復するよう求めた重訴状。
宝治元年5月5日(譲状)、弘安5年3月11日(申状) / 冊子 331頁/原整理番号 130-3
薩摩国御家人橋口次郎大蔵家忠が、河上名主職の安堵を求めて提出した弘安五年三月十一日付申状。祖母道阿弥陀仏が宝治元年五月五日に市来院内河上名主職を家忠へ譲ったものの、いまだ公的な補任を得ていないため、譲状案文を副進し、後日の証拠とするため安堵の御下文を下すよう願う。付随系譜は家忠を熊次郎丸、橋口次郎、一説に友光、入道道一と記す。同文が『旧記雑録』前編一八三八号文書にも収められるとの注記がある。
正文発給日:文永九年十月廿一日 / 冊子 336頁/原整理番号 五〇八/整理ID TMP-P02-NENE4C-D0508
藤原盛定が、佐多九郎宗親の子息阿古丸の亡父遺領に関する申状を報告する。 御教書と訴状具書が去る八月廿七日に到来し、拝見したと記す。 御教書と訴状具書を添えて地藏女・倉次郎丸代國能へ触れ、今月廿一日に御請文が進上されたと記す。 その旨を披露するよう求める。
正文発給日:文永八年十月十六日 / 冊子 336頁/原整理番号 五〇七/整理ID TMP-P02-NENE4C-D0507
佐汰九郎宗親の子息阿古丸が、宗親の遺領について申す。 阿古丸は弘長三年の宗親譲状を帯びていると記す。 舎弟倉次郎丸と女子地蔵らについても、同年の宗親譲状の有無などを詳しく調べるよう命じる。 譲状を持つ者には案文を取り進めるよう求め、仰せを執達する。