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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

4 件 (全巻)/ 1–4件を表示

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後編1-No.416記録確認度 高

永禄十一年戦死者交名

永禄十一年二月二十一日の飫肥方面の合戦を中心に、同年各月の戦死者を日付別に列挙する交名抄。北郷忠俊・久周、本田親豊、土持頼綱、和田匡郷ら多数のほか、三月九日の寺山直久、同月二十三日の佐多経久、八月・十二月の戦死者を記す。

登場人物
北郷忠俊、北郷久周、本田親豊、土持頼綱、和田匡郷、財部盛稔、寺山直久、佐多経久、川上丹波守ほか
宛先
—
キーワード
永禄十一年戦死者交名、飫肥、二月二十一日、北郷忠俊、本田親豊、土持頼綱、寺山直久、佐多経久、戦死者
後編1-No.411記事確認度 高

北郷時久譜

永禄十一年正月、伊東勢が篠小峯に陣して飫肥本城を囲んだため、北郷時久が酒谷へ援軍を出し、二十一日に本城勢と挟撃して伊東勢を破ったことを記す。二月二十一日の兵糧輸送戦では北郷忠俊・本田親豊・土持頼綱ら多数が戦死し、酒谷・本城は飢餓に陥った。貴久の命を受けた北郷忠徳が和議を進め、六月に飫肥を伊東氏、福島を肝付氏へ渡し、七月に島津忠親・北郷時久らが都城へ退いた。

登場人物
北郷時久、島津忠親、北郷忠増、北郷久盛、北郷久裁、伊東義祐、北郷忠俊、本田親豊、土持頼綱、北郷忠徳、米良筑後守ほか
宛先
—
キーワード
北郷時久譜、永禄十一年、飫肥、酒谷、北郷時久、島津忠親、伊東義祐、篠小峯、兵糧輸送、戦死、飢餓、北郷忠徳、和議、都城退去
後編1-No.418記事確認度 高

庄内平治記

永禄十一年正月、伊東氏が大軍で飫肥本城・酒谷間の篠ケ峯に陣し交通を遮断したことから、北郷時久が酒谷へ出陣して本城勢と挟撃し、一月二十一日に伊東勢を破った経過を詳述する。二月の兵糧輸送戦では島津・北郷方が敗れて多数が戦死し、本城は人肉を食するほど飢えた。北郷忠徳が和議をまとめ、六月八日に飫肥を伊東氏、福島を肝付氏へ渡し、七月に忠親・時久らが都城へ退去した。

登場人物
伊東義祐、島津忠親、北郷時久、北郷忠増、北郷忠俊、土持頼綱、本田親豊、北郷忠徳、米良筑後守ほか
宛先
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キーワード
庄内平治記、永禄十一年、飫肥、酒谷、篠ケ峯、伊東義祐、島津忠親、北郷時久、兵糧輸送、飢餓、北郷忠徳、和議、福島、都城退去
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w1:7系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

本田親賢流系図

本田氏十二代兼親の三男・親賢(源二郎、兵部少輔)を祖とし、肥駄隼人介の後嗣となった系統。親豊が肥駄氏を去って本田氏に復したこと、親次が永禄九年十月二十六日に三之山で戦死したことを記す。親商は惟新公の加治木在城時の家老で、関ヶ原退去の際に忠志を尽くし、蒲生地頭を務め、慶長十年四月二十日に没した。ほか、親昌(初名親信、実は比志島源右衛門国家)の慶長五年九月十五日関ヶ原戦死、上井・宇宿・友野・木脇・川畑諸氏との婚姻、養子・早世・法名を収める。

登場人物
本田兼親、本田親賢(源二郎・兵部少輔)、肥駄隼人介、本田親豊、本田親次、本田親商、島津義弘(惟新)、上井秀秋、本田親存、本田親能、本田親昌(親信)、比志島国家、宇宿伝左衛門、友野左近、木脇九右衛門、川畑五右衛門
宛先
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キーワード
本田親賢、肥駄氏、本田親豊、三之山合戦、加治木家老、関ヶ原退去、蒲生地頭、比志島国家、関ヶ原合戦、婚姻、養子