朝鮮戦死者子孫の御祭拝礼に対する謝意
弘化4年9月12日(目録) / 冊子 26頁/原整理番号 9-1
朝鮮御陣中で戦死した者の子孫として、妙谷寺での御祭を命じられたことへの感謝と御礼を述べる。
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弘化4年9月12日(目録) / 冊子 26頁/原整理番号 9-1
朝鮮御陣中で戦死した者の子孫として、妙谷寺での御祭を命じられたことへの感謝と御礼を述べる。
目録年月日記載なし / 冊子 26頁/原整理番号 8
朝鮮泗川の戦死者と番船破船で亡くなった者を妙谷寺で祭り、子孫の拝礼、位牌・供物の手配を命じる。銀五十枚・白米五石を記す。
弘化4年9月9日以降 / 冊子 27頁/原整理番号 10
九月九日に番御用人から伝えられた指示に従い、妙谷寺の戦死者御祭へ子孫を列席させる案と、その取扱いを笑左衛門へ申し渡す。
目録年月日記載なし / 冊子 27~28頁/原整理番号 11
妙谷寺での戦死者御祭に用いる位牌・供物等の配置を図示し、戦死者の子孫名簿と寺社方への取次を記す。
年月日未詳 / 冊子 705頁
六月に山下周防が主君に従って死に、坂元伴助・福永八・藤井右馬丞・川野太兵衛ら六人も殉死したことを記す。 その一人である久木崎佐弥太は朝鮮で戦死したとの注記もあり、島津家臣団における殉死者と朝鮮出兵の人的損失を伝える記事。
年月日未詳 / 冊子 164~165頁/原整理番号 44
佐々木氏元祖式部大夫成頼の後裔とする野村氏系図。盛綱は佐々木三郎ともいい、仁安元年に藤九郎盛長の加冠を受けたため盛綱と号し、加治三郎左衛門尉を称した。源頼朝に仕えて功を立て、出家して西念を号したという。弟の加治太郎信実や、建仁年間に戦死した小三郎盛秀以下、久綱・実季・実綱・長綱等の諸系線を掲げる。盛蓮は佐々木四郎坊として日州四所庄へ下向し、慶幸は近江白莚郷領主、頼親は野村杢左衛門を号して伊東信濃守祐光の一族として日州を領し、近江国野村領主とも伝える。盛秀の日州廣原戦死、康綱の谷山・飯田合戦での軍功、光綱の根白合戦、三俣下城での討敵、元綱の末吉戦死を記す。後半は松綱以下の諸分流、伊東義益家に関わる御福園の記事、朝鮮での戦死、養子・官途・通称を列記する。
天正15年(1587)ほか / 冊子 420~421頁/原整理番号 8
秩父氏二十四代又太郎重豊の四男・淡路守入道心岳を祖とし、出羽守・淡路守重宗以下へ分かれる伊地知氏庶流の系図。重政は門川地頭として島津義久に仕え、天正十五年に豊後で戦死し、重張は朝鮮で戦死したと記すほか、種子島氏からの養子が義久・義弘・家久の三代に仕えたこと、各支流の官途・婚姻・養子・戦死を載せる。後半は手串良・牛根・栗野・曽木・飯野・倉岡・国分などへの移住、根城攻めでの戦功と前田給付、前田家との由緒から前田または伊地知を称した重悦・重通の系統、重氏・重行・元重・重慶・季定らの系線を示す。
天正14年(1586)~慶長4年(1599)頃の記事 / 冊子 421~422頁/原整理番号 9
家嫡太郎左衛門尉重豊の二男・伊地知河内守を祖とし、越前守・刑部少輔以下へ分かれる系図。重位は朝鮮で戦死し、石原助兵衛の長子を実子として系統へ迎えたこと、重清は朝鮮役で功を立て蒲生で戦死したこと、重徳は日新公に仕えて蒲生で戦死したことを記す。重増は比志島河内守の二男を実子とし天正十四年に豊後で戦死、重鑑は朝鮮役で功を立て庄内役では兵具奉行を務めて戦死するなど、石原・比志島両家との養子関係と、豊後・朝鮮・蒲生・庄内での軍歴を各支流に付記する。