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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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5 件 (全巻)/ 1–5件を表示

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追録7-No.1151記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪御譜(内証千万の死去と芝・福昌寺の墓)

重豪公御譜中。堤氏は千万と称し格式は内証、堤前中納言代長の女で斉宣の生母との注を付す。以前から舊腦と記す持病を患い医薬が効かず、今茲6月14日、江戸高輪邸で卒、65歳。後に13日を忌日としたとの注も掲げ、死亡日を13日に書き替えない。法名春光院殿心月清涼大姉。17日芝大圓寺で葬り、家老川上右近久芳が木主を持ち、同寺に墓・木主を置いた。秋9月26日、遺髪を本府福昌寺へ帰葬し、ここにも墓と木主を設ける。斉宣譜中に詳載との注。病状の掲載語、年齢、葬地と遺髪帰葬を保持し、現代病名を診断せず、木主を遺体と混同しない。

登場人物
堤氏(千万・内証の呼称)、堤前中納言代長(掲載注)、斉宣、川上右近久芳
宛先
独立宛名なし(重豪公御譜中)
キーワード
千万内証堤氏斉宣生母、堤前中納言代長女注、舊腦持疾医薬不効、六月十四高輪卒六十五後十三忌日、春光院殿心月清涼大姉、十七芝大圓寺川上久芳木主墓、九月廿六福昌寺遺髪墓木主
追録7-No.2073その他文書旧記雑録暫定版確認度 高

増上寺大僧正法文札

不斷光院に正文があるとする増上寺大僧正の法文札。表は「南無阿弥陀佛」と増上寺五十九主大僧正寶譽の花押表示、裏は天下和順・日月清明・風雨以時・災厲不起・国豊民安・兵戈無用等を願う祈願の文を収録する。重豪寿像に関係する法文札の表裏の内容を示すが、花押そのものは文字表示であり字形を確定しない。

登場人物
増上寺五十九主大僧正寶譽
宛先
—
キーワード
増上寺、五十九主、大僧正、寶譽、不斷光院、法文札、南無阿弥陀佛、天下和順、日月清明、風雨以時、国豊民安、兵戈無用、祈願
追録6-No.838記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪、孝子を褒賞する記事

原文の大隅郡佐多郷伊座敷村の農民清右衛門は、早くに父を失い、母に孝養を尽くした。母は足を患っており、清右衛門と弟三右衛門が背負ったり肩輿に乗せたりして、母の望むところへ連れて行き、このように約二十年支えた。この年冬十二月、官に命じて清右衛門へ廩米十五苞を与え、褒賞した記事。出典は重豪公御譜中。

登場人物
重豪、農民清右衛門、弟三右衛門、清右衛門の母
宛先
—
キーワード
大隅郡佐多郷伊座敷村清右衛門、早失父母足疾、弟三右衛門と背負い肩輿介助凡二十年、冬十二月清右衛門廩米十五苞褒賞
追録6-No.1128系譜旧記雑録暫定版確認度 中

齊宣略歴―名・称・官位、芝邸出生と内証・実母の後年注

初名忠堯、後に齊宣、小字虎寿丸、又三郎、豊後守・薩摩守、従四位下侍従・左近衛少将、従四位上中将、後に修理大夫、号溪山とする略歴。安永二年癸巳十二月六日に芝邸で生まれ、母を堤前中納言代長女と記す。朱に「近秘野卿」との注がある。細注は浄岸君が守宮にあったこと、君の逝去後に父公が代長女を得て虎寿君が生まれたので千方殿におり、安永五年正月二十二日に本丸大奥へ移居したことを記す。寛政元年八月六日に御内証様と称する命を記し、寛政五年正月の注は「年餉提前宰相録百枚終身賜之命也」と記し、受給対象と「録」の細義は留保する。文化八年辛未六月十三日に江戸で逝去、大圓寺へ葬り、法号春光院殿心月清凉大姉、福昌寺に安主したと注する。主文の略歴と、実母・居所・呼称・終身賜与・逝去の細注を分けて記す。

登場人物
太公齊宣(初忠堯・虎寿丸・又三郎・豊後守・薩摩守・溪山)、堤前中納言代長・その女、浄岸君、父君
宛先
略歴のため独立宛所なし
キーワード
齊宣の名・官位、堤代長女、芝邸出生、千方殿・本丸大奥、寛政元年御内証様、寛政五年終身百枚の注(受給対象留保)、文化八年六月十三日逝去、大圓寺・福昌寺
追録7-No.1154記事旧記雑録暫定版確認度 高

斉宣御譜(千万死去と重豪譜の丹羽氏記事への編者按)

斉宣公御譜中。文化8年辛未夏6月14日、斉宣の生母堤氏が江府高輪邸で卒。千万と称し生母なので内証とも呼ぶこと、中納言代長卿の女であるとの注を付す。去年12月から持病で臥し医薬に効がなく、65歳で卒、後に忌日を13日としたとの注。法号春光院殿心月清涼大姉、17日芝大圓寺で葬り川上右近久芳が木主を奉じ安置、秋9月26日に遺髪を薩府福昌寺へ帰葬し墓と木主を置いた。続く謹按は、重豪公譜も後夫人丹羽氏が薨じ堤氏が卒したと記すが日を記さず、斉宣譜に詳載とすることを述べる。旧史官の記事の写文は兵燹を受け、今詳細を再記しようにも確かめる文献がなく、重豪譜の略記を採って記すと説明する。母の死去記事と丹羽氏記事への編者按を分け、二氏を同一人へ統合しない。

登場人物
斉宣、斉宣生母堤氏(千万・内証)、中納言代長卿(掲載注)、川上右近久芳、後夫人丹羽氏、旧史官
宛先
独立宛名なし(斉宣公御譜中)
キーワード
斉宣生母堤氏千万内証代長卿女注、去年十二月持疾医薬無効、六月十四高輪卒六十五後十三忌日、十七芝大圓寺久芳木主、九月廿六薩府福昌寺遺髪、謹按重豪譜後夫人丹羽氏堤氏日未記、旧史官写文兵燹文献欠