島津元久名字状
応永十二年十二月十三日 / 冊子 219頁
島津元久が左衛門大夫藤原景親に『輔仁』の名を与えた名字状。本文は授与名・受給者・年紀を簡潔に記す。
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応永十二年十二月十三日 / 冊子 219頁
島津元久が左衛門大夫藤原景親に『輔仁』の名を与えた名字状。本文は授与名・受給者・年紀を簡潔に記す。
天正二年九月十日 / 冊子 504~505頁
石清水八幡宮善法寺法印完清の命により、正執印紀景親を大口国正八幡宮の留守職に補任し、神事祭礼に専念するよう命じた執達状。確定版は天正四年だが、本文年紀は天正二年九月十日と読める。
慶長十八年四月十四日 / 冊子 396頁
慶長十八年四月十四日、高崎能乗・別府景親・伊勢貞昌が、検地後の薩摩・大隅諸県の割符、隅州・諸県郡・高麗・奥州様・出水に関する御朱印や写しを請け取った連署請取状。
年月日未詳 / 冊子 581~582頁
慶長十九年末からの大坂方の動向について、信濃景親が大坂からもたらした情報や本多正純・山口直友の指示、真田氏ら大坂勢の状況を記した島津家久譜の記事。
年月日未詳 / 冊子 639頁
有馬重純が朝鮮・琉球の遠征にも家久に忠信を尽くして没したため、家久が『事君能致其身』の六字を冠した和歌で弔い、景親も命に従い詩を添えたことを記す記事。
年月日未詳 / 冊子 719頁
島津家久が伊勢貞昌を江戸へ派遣した後、しばらく音信がなかったため書状を送り、伊勢から別府景親を介して返書が届いたことを記す家久譜の記事。
年月日未詳 / 冊子 64頁
仁礼蔵人景親が長年江戸で島津家久に仕え、よく勤慎したことを家久が賞し、知行百石を加増したと記す系譜記事。
寛永五年六月廿三日 / 冊子 64頁
親王の薨去により家久の暇が延引する可能性、江戸での大規模普請に伴う国元普請の抑制、仁礼景親への百石加増、祭礼への子弟参列を指示する。また比志島国隆の旧臣は当面の奉公を認めつつ行動を監視し、他国へ出ることを禁じる。
年月日未詳 / 冊子 195頁
三月二十二日に秀忠から使者を通じて御鷹の雁二羽を賜り、家久が謝した記事に続き、北郷忠能の人物と都城支配を論評する。忠能が幼くして孤児となり専横に育ち、賞罰を誤り忠臣を殺害・追放して北郷家を傾けたため、死後、家久が嗣子忠亮へ数条の教訓を川上久国・仁礼景親を介して示した経緯を記す。
天正五年六月廿二日 / 冊子 518頁
正八幡宮一之鳥居造営時の茶番を十九番まで割り当てた交名。社家・衆徒・正興寺・正高寺・正国寺などの担当者を列記する。日付は六月二十二日だが、留守殿の指示で二十四日から茶を立てたと注記する。
年月日未詳 / 冊子 159~160頁
島津家久をはじめ十二名が、実窓芳真大姉を追悼して詠んだ和歌集。月・夢・春・野・仏跡などを題材に、故人への悲しみと供養の心を表す。
(元和五年)十一月廿七日 / 冊子 719頁
伊勢貞昌が江戸から、到着後の情勢、加藤家関係の処分や幕府の対応、借銀返済・物資調達・人馬手配などの諸事を島津家久方へ詳報した書状。
寛永八年三月廿八日 / 冊子 195~196頁
北郷忠亮に、聖賢の道を学び賞罰を明らかにして家を長く保つこと、北郷家が島津家にとって重要であることを説く。忠能代の悪行に加担した者の追放・処罰、死罪・知行没収時の鹿児島への報告、鹿児島屋敷への移住などを命じた家久袖判の条書写。
年月日未詳 / 冊子 703~704頁/原整理番号 733
国分士杢田十左衛門家蔵の島原出陣人数賦。町田甲斐守以下、各人の主従人数と鉄砲・鑓・弓・具足、鍬・斧などの携行品を列記する。末尾に合85人(うち18人自身立)、合134人披官と記し、杢田十左衛門景親に請うて採録したと結ぶ。
年月日未詳 / 冊子 17~19頁/原整理番号 5
本田市郎左衛門家の略系図。清寧天皇から親峯・親正・親満・親定へ続く系線を掲げ、善光を天竺の月蓋長者・聖徳太子の過去世の師とし、難波浦で得た阿弥陀如来を信濃へ奉送したとする善光寺如来縁起を詳記する。続いて薩州出水郡山門院の本田氏について、平氏下向時に近衛家へ参って藤原氏を称したとの伝承、親森(道観)以下の系譜を記し、親治の大隅西原での戦死、正親の高麗留守・出水衆頭・富隈での老名役、親貞の家督相続、加治木板井口の戦闘と日州高城での戦死記事へ続き、末尾を「以下略」とする。
年月日未詳 / 冊子 398~400頁/原整理番号 128
天正四年卯月十四日の会で、夏の月と郭公を詠んだ歌を集める。義久・前久をはじめ、家中や僧・近衛側の参加者十八名の歌を、作者の名とともに掲げる。月明かり、都と山路、夜半・明け方、郭公の声が共通の題材で、忠元の歌も含む。作者名・題などには異本の注記が付される。
年月日未詳 / 冊子 400~401頁/原整理番号 129
山霞・柳露・花見などの景物から、待恋・契恋・恨恋・別恋、眺望・祝言まで、二十の題を配して詠んだ和歌を作者名とともに掲げる。忠元は鹿と氷の歌を詠み、義久・忠長・季久らも加わる。題や作者名には異本による修正注があり、天正四年卯月十四日の当座と記す。末尾に本詩を130番によって校訂した旨の注がある。