島津義弘譜
年月日未詳 / 冊子 482頁
天正十八年九月下旬から十月にかけ、龍伯(島津義久)が大坂・京都を往来し、近衛前久・宗叱・徳雲らの招きで茶会・酒宴・連歌を楽しんだ経過を記す島津義弘譜の記事。 東魯の徳義門では明人の学者から中国の文物・詩文・武具の講義を受け、事情を聞いた義弘も入洛した。島津兄弟が上方の公家・僧侶・海外知識人と接した文化史上興味深い記事である。
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年月日未詳 / 冊子 482頁
天正十八年九月下旬から十月にかけ、龍伯(島津義久)が大坂・京都を往来し、近衛前久・宗叱・徳雲らの招きで茶会・酒宴・連歌を楽しんだ経過を記す島津義弘譜の記事。 東魯の徳義門では明人の学者から中国の文物・詩文・武具の講義を受け、事情を聞いた義弘も入洛した。島津兄弟が上方の公家・僧侶・海外知識人と接した文化史上興味深い記事である。
(慶長五年)正月十九日 / 冊子 499頁
島津義弘(惟新)が又八郎に、大明の人質「ういひん」を春に薩州から明へ渡すよう命じられたと伝える。内府徳川家康が明へ送る書状をたい長老が調えたので、又八郎も加判するよう求め、詳細は本田源右衛門尉から聞いて確実に処理するよう命じる。日本と明の和平は前代未聞の重大事であるため、渡航船の乗員も改め、慎重を期すよう重ねて注意する。
巻八/冊子 119頁
琉球国八重山島の地理と、異国船の漂着・処置を記す。八重山島は首里から百七十四里離れ、南風で渡り北風で帰るため往復は年一度ほどと説明する。寛永十六年八月十八日、石垣港へ福州の船が漂着し、大明人十四人・南蛮人六十八人が乗っていた。通事は、呂宋から高砂へ渡る途中に逆風を受けて漂着したと述べる。島役人は彼らを上陸させて保護し、翌年七月十二日に琉球側から薩摩・鹿児島へ送った。馬場利重が江戸幕府へ経緯を報告すると、家光は八重山島役人の働きを賞し、漂着者が載せてきた宝物を褒美として島役人へ与えた。薩摩藩の琉球支配下における漂着外国人の保護・移送・幕府報告・褒賞を示す記事である。
年月日未詳 / 冊子 514~517頁/原整理番号 327-1
佐多久英の覚書。豊臣秀吉の朝鮮出兵に際する島津家の軍役、龍伯・惟新らの動き、出兵の準備や褒賞に関する経緯を述べる。
年月日未詳 / 冊子 516頁
明人の都司渭濱茅國科が薩摩に来て宇都宮弥三郎の旧宅に滞在し、島津忠長と書簡を交わしたのち、同年四月ごろ明国へ送り帰された経緯を記す。