薩州島津家略系図
永禄十二年三月十三日・元亀二年 / 冊子 242頁
薩州島津家の略系図。忠辰を島津歳久の猶子とし、永禄十二年三月十三日生、天正十五年四月十七日に十九歳で死去したと注記する。元亀二年に出水で生まれた忠清は義久長女を母とし、兄忠辰の罪により母・母堂・弟忠富・忠豊とともに小西行長へ預けられ、長年肥後に在住したとする。
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永禄十二年三月十三日・元亀二年 / 冊子 242頁
薩州島津家の略系図。忠辰を島津歳久の猶子とし、永禄十二年三月十三日生、天正十五年四月十七日に十九歳で死去したと注記する。元亀二年に出水で生まれた忠清は義久長女を母とし、兄忠辰の罪により母・母堂・弟忠富・忠豊とともに小西行長へ預けられ、長年肥後に在住したとする。
寛喜三年二月十九日 / 冊子 16頁/原整理番号 196
平忠友が、先祖相伝の薩摩郡成枝名内の水田等を子息平忠富へ譲った譲状。大賀里・青木・小落見・久留美上新開・柏木・宗原・木下・瓦田里などの坪付を列挙し、一部を平次の所領として除外したうえ、子孫に至るまで妨げなく領掌するよう定める。寛喜三年二月十九日付。
年月日未詳 / 冊子 386頁
薩州島津氏の系譜を図示し、忠辰・忠隣・忠清・忠栄らの系統と、久基、久弘、久近らへの分岐を示す。各人の通称・官途として又太郎、三郎次郎、備前守、越前守、民部少輔、弥市郎などを付記する。
寛喜二年二月十九日 / 冊子 160頁
平忠友が薩摩郡内成枝名の水田・屋敷・畠等を平忠富へ譲った譲状。四至や田積を列挙し、所領の範囲と相伝関係を具体的に示す。
年月日未詳 / 冊子 171頁/原整理番号 50
橘諸兄の末流とする東山藤崎氏の系図。小四郎公紀は従五位下美濃守で藤崎を号し、鎌倉合戦では宮方として新田陣に加わり、初めて薩州へ下って向島および諸所を領したとする。公辰(美濃守・橘次)―公明(備前・小四郎)―公兼(肥前守・平六兵衛)の系線、公範(豊前守・小四郎)―公行(善六左衛門・但馬守・小四郎)―公昌(助右衛門・吉次)の系線、公朝(六郎右衛門)―公常(善六左衛門)の系線を掲げ、公朝の母を島津左近将監忠富の娘と記す。子孫は六太夫。