島津日新斎譜
年月日未詳 / 冊子 903頁
天文二十一年、六十一歳の島津日新斎が生死と国家・民衆について述べた記事。自らの葬送や墓所の扱い、死後の功徳、領主が民を治める心得を示し、あわせて詩歌に託した心境を記して、晩年の日新斎の政治観・宗教観・死生観を伝える。
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年月日未詳 / 冊子 903頁
天文二十一年、六十一歳の島津日新斎が生死と国家・民衆について述べた記事。自らの葬送や墓所の扱い、死後の功徳、領主が民を治める心得を示し、あわせて詩歌に託した心境を記して、晩年の日新斎の政治観・宗教観・死生観を伝える。
年月日未詳 / 冊子 902頁
日新公御譜および日新記に、島津貴久へ蹴鞠の家統・秘伝が授けられたことを記す記事。
天文廿一年十月吉日 / 冊子 903頁
島津日新斎が川邊寶福寺へ、薩摩国加世田庄内の小湊にある塩屋一間を永代寄附した寄進状。
天文廿二年二月三日 / 冊子 906頁
島津日新斎が天徳寺へ、薩州伊作の庄湯之浦名内にある水田五町を寄進し、永代の寺領とした寄進状。
天文廿二年九月廿七日 / 冊子 908頁
島津日新斎が栗野徳元寺の祐田公記室禅師に、大隅国宮内の正雲禅寺の件を進献し、後の鑑定・令啓を求めた書状。
天文廿三年二月二日 / 冊子 910頁
島津日新斎が保泉寺へ、薩州加世田庄内の合大浦名・長田之門にある田地などを永代寄進した寄進状。
天文廿三年四月廿日 / 冊子 910~911頁
島津日新斎が島津貴久に、両郡の格護や世間の雑説に動かされず、互いに疎略なく一味することを神仏へ誓った起請文。
九月廿三日 / 冊子 928頁
島津日新斎が又三郎に、岩剣方面の戦況を踏まえ、船の手配や陣中での働きに万事油断なく対処するよう伝えた書状。
「天文廿三年」九月十五日 / 冊子 928頁
島津日新斎が又三郎に、陣取りを喜びつつ長く用心するよう戒め、文六郎の件などへの対応を伝えた書状。
年月日未詳 / 冊子 263頁
飲酒の戒めを主題に、日新斎の教訓歌と能岳俊・義久・家久らの歌を連ねた詠草。酒を重ねる愚かさ、適量、親の戒めを説く。
年月日未詳 / 冊子 394~395頁
和歌が天地・鬼神・人倫を動かす道であると説き、忠久以来の島津歴代、とりわけ忠宗・日新斎・貴久・義久・義弘・家久の和歌活動と、公家・歌人との交流を概説する。散在していた家久自筆の詠草を収集・分類し六巻の『家久詠歌遺藁集』とした編纂目的と凡例を記す序文。
天正14年(1586)~慶長4年(1599)頃の記事 / 冊子 421~422頁/原整理番号 9
家嫡太郎左衛門尉重豊の二男・伊地知河内守を祖とし、越前守・刑部少輔以下へ分かれる系図。重位は朝鮮で戦死し、石原助兵衛の長子を実子として系統へ迎えたこと、重清は朝鮮役で功を立て蒲生で戦死したこと、重徳は日新公に仕えて蒲生で戦死したことを記す。重増は比志島河内守の二男を実子とし天正十四年に豊後で戦死、重鑑は朝鮮役で功を立て庄内役では兵具奉行を務めて戦死するなど、石原・比志島両家との養子関係と、豊後・朝鮮・蒲生・庄内での軍歴を各支流に付記する。
年月日未詳 / 冊子 332頁
琉球王某が島津忠良に、前年初夏、太平島の百姓が逆浪で片浦に破船した際、船を造って与え、無事帰国させた救助へ謝意を表した書状。使節として建善寺を渡海させ、黄金・真南蛮香・織物・紅白の糸・白布・蜜・砂糖・線香・薬種などを贈り、詳細は月泉長老に託す。
年月日未詳 / 冊子 263~267頁
紅梅、花、春雨、雪、曙、夕日、竹、月、七夕、七種、椿、夜時雨など四季と祝意を詠んだ島津家久の短冊・詠草群。