天正十七年・十八年覚書
年月日未詳 / 冊子 427頁
天正十七年の十七か条誓紙連判、八月の実明公上洛、同年秋の松齢公下向、天正十八年の久保公関東出陣を列記した覚書。 二年間の島津家中の主要行事を見出し形式でまとめたもので、誓約・上洛・帰国・軍事動員の時系列を簡潔に確認できる。
SEARCH THE ARCHIVE
『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
5 件 (全巻)/ 1–5件を表示
ページ 1 / 1
年月日未詳 / 冊子 427頁
天正十七年の十七か条誓紙連判、八月の実明公上洛、同年秋の松齢公下向、天正十八年の久保公関東出陣を列記した覚書。 二年間の島津家中の主要行事を見出し形式でまとめたもので、誓約・上洛・帰国・軍事動員の時系列を簡潔に確認できる。
年月日未詳 / 冊子 22頁
慶長十年七月、児玉実相が島津忠恒の伏見からの帰国に随行したことを記す記事。船中で島津義久の重病を知り、正八幡と霧島神に平癒を祈って、回復後には馬・刀を奉納すると誓願した。
文明十七年六月二十日条 / 冊子 262頁/原整理番号 24の10
『文明記』文明十七年六月二十日条から、島津国久勢に敗れて猿渡筑前守・同刑部少輔・本田又次郎らが戦死した記事を抄出する。家系図に見えない人物も同時代記録の記載を優先して戦死を認め、備後守実明らの系統と羽月移住を考証する。
天文十七年十一月二十一日 / 冊子 262頁/原整理番号 24の11
羽月山之門の山之神棟札写。大檀那として藤原氏猿渡備後入道実明と同兵部少輔実昌を記し、両人の子孫繁昌と諸人快楽を祈る。天文十七年十一月二十一日の年紀と、番匠為安・鍛冶家正の名を伝える。
年月日未詳 / 冊子 127頁
慶長十二年、島津義久が帖佐で病んだため、国分にいた島津家久が心配し、療治を促すとともに実相を見舞いに遣わした記事。使者は犬追物の件も伝え、八月一日に復命した。