島津義久譜
天正二年正月三日 / 冊子 328~329頁
天正元年十二月以来の平床対陣を承け、天正二年正月三日に肝付軍が高隈山を越えて牛根城前の茶園尾へ陣取ろうとした際、島津忠長と川上久信が軍を励まして撃退した。島津方は茶園尾を占領して牛根城に迫り、城方へ安楽備前守の名を詠み込んだ狂歌を矢で射送った。
SEARCH THE ARCHIVE
『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
10 件 (全巻)/ 1–10件を表示
ページ 1 / 1
天正二年正月三日 / 冊子 328~329頁
天正元年十二月以来の平床対陣を承け、天正二年正月三日に肝付軍が高隈山を越えて牛根城前の茶園尾へ陣取ろうとした際、島津忠長と川上久信が軍を励まして撃退した。島津方は茶園尾を占領して牛根城に迫り、城方へ安楽備前守の名を詠み込んだ狂歌を矢で射送った。
天正二年正月三日 / 冊子 330頁
天正二年正月三日、肝付兼続の軍勢が高隈山を越えて茶園尾へ陣取ろうとしたが敗走し、島津勢が同地を占領したと記す。早崎城兵が安楽備前守の姓氏を題に狂歌を作り、矢に書いて敵陣へ送った逸話を載せる。底本欠損のため鹿児島県立図書館本で補われた記事である。
天正二年正月十八日~廿七日 / 冊子 329頁
天正二年正月十八日から牛根城の切岸を昼夜掘り進め、城内まで道を通したため、守兵が降伏を請うた経緯を記す。十九日夜に停戦し、翌日人質を交換、二十二日に新納忠元が入城、二十七日に義久が早崎陣から帰還した。続いて伊東・肝付・伊地知勢の禰寝侵攻と喜入季久らの迎撃も記す。
天正二年正月三日~十九日 / 冊子 331頁
天正二年正月に霧島山の神火が天地を動かしたこと、正月三日に茶園ヶ平へ着陣したこと、同十九日に牛根城が島津方へ渡されたことを簡潔に記す。
天正二年 / 冊子 324~326頁
天正二年の島津氏の動向を編年で記す。牛根城救援軍を茶園尾で退けて安楽備前守を降し、禰寝方面の伊東・肝付軍を撃退したほか、足利義昭からの援助要請、入来院重豊の献地、江月斎来訪、北郷時久への盟書、義虎・天草氏との交渉、菱刈氏の処分、肝付兼亮・伊地知重興の帰順などを載せる。
天正元年七月~天正二年正月 / 冊子 334~336頁
平床陣への肝付・伊地知勢の来攻、茶園ヶ尾の戦い、七月の諏訪祭礼で軍役が手薄になった隙を突く夜襲、家久の奮戦を叙述する。さらに敷根頼継の進言で牛根城攻めを継続し、義久の狂歌矢、切岸掘削、安楽備前守の降伏、肝付・伊地知両氏の帰順と城地配分に至るまでを記す。
年月日未詳 / 冊子 93~94頁
島津方が廻城を包囲すると、肝付方は六千余騎を集め竹原山・馬立の陣を攻撃し、島津忠将以下を討ち取った。兼続は忠将との旧交を思って涙し、島津方は一時和睦して撤陣し、飫肥の義弘も貴久・忠親の意向により帰国した経過を記す。
天正二年正月~十二月 / 冊子 327~328頁
天正二年の軍事日程を記し、正月三日の茶園尾着陣、十九日の伊東・肝付勢による禰寝攻撃、二十日の牛根城開城、廻・市成両城の接収、伊地知氏の帰順、八月の宝繁寺を介した肝付氏との矢留め、十二月の平松陣撤収と役人交名を載せる。
天正二年正月三日以後 / 冊子 331~332頁
天正二年正月三日の茶園尾合戦から牛根城開城までを詳述する。島津軍の進撃に肝付勢が敗走し、義久が狂歌を矢に付けて城内へ送り、逆瀬川奉膳兵衛らが切岸を掘って降伏を促した。新納忠元の入城後、其阿上人を使僧として肝付・伊地知両氏の帰順と城地の献上・再配分が実現した経緯を記す。
天正二年正月三日~廿七日 / 冊子 333頁
天正二年正月三日の茶園ヶ尾合戦、牛根城切岸の掘削と開城、同十九日の禰寝方面の戦闘を詳述する。家久・忠長らの追撃、霧島山神火の瑞兆、喜入季久の奮戦と弟二人の戦死、人質交換、新納忠元の入城を記し、切岸を掘り抜いた三名の働きを高く評価する。