殉国名薮
年月日未詳 / 冊子 104頁
永禄五年の郡山および六月三日の横川城合戦などで戦死した島津方の武士を列挙する殉国名簿。尾辻佐左衛門尉、貴島図書助をはじめ各地の従軍者名を伝える。
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年月日未詳 / 冊子 104頁
永禄五年の郡山および六月三日の横川城合戦などで戦死した島津方の武士を列挙する殉国名簿。尾辻佐左衛門尉、貴島図書助をはじめ各地の従軍者名を伝える。
元亀三年三月中旬 / 冊子 263~264頁
伊東・肝付・伊地知方が小禰寝へ出兵して浜城を落とし、本城麓へ放火した。園見城から喜入図書助・弟小四郎が加世田勢を率いて奮戦したが、多勢に敗れて兄弟とも戦死した。続く岩瀬戸口の追撃戦では猿渡越中守・井尻伊賀守・喜入摂津守・平田新左衛門らが働き、敵も損害を出したものの、この戦いは伊東・肝付方が小利を得て退陣したとする。
(寛永十二年)十一月七日 / 冊子 506頁
西監物純政・林田図書助重正・堀斎助純俊が島津弾正へ、十月二十七日付の書状を十一月二日昼に受け取ったと報じ、キリシタン改め中の往来管理を回答した連署書状。島津領から往来する奉公人・町人には島津弾正の印判を持たせ、百姓は各地の衆の手形で通行させること、別紙に記された六名を境目の者へ申し付けることを伝える。本文日付は寛永十二年十一月二日で、索引の十一月七日とは相違する。
元亀三年三月中旬 / 冊子 263~264頁
禰寝重武が島津方へ帰順し、元亀三年三月中旬に伊東・肝付・伊地知方と戦った経緯を詳述する。大姶良方面では島津歳久・忠長らの反撃で敵を退け、重武の子を人質として境目の城々に番兵を置いた。のち敵が小禰寝の浜城を落とすと、喜入図書助・小四郎兄弟らが戦死し、岩瀬戸口で島津方が追撃して多数を討ち取った。
年月日未詳 / 冊子 232頁/原整理番号 333-12
二月二十七日、有吉頼母組下の番頭が、自分たちと三の丸へ乗り込んだが証人はいないとし、続いて二の丸へ入り、敵を少々討ち捨て、小屋へ火を掛け、本丸へ向かって蓮池上の城戸目付の石垣へ着いたと申し出たもの。この地点では佐分利加左衛門を証人とし、その後、使いによって引き取る際、立允へ断って有吉頼母の備所へ戻ったと述べる。差出人名は本文『萩図書助』に編者注『薮カ』が付き、目録は『薮図書助差出』とする。
年月日未詳 / 冊子 662頁
北郷持久・辰久・敏久から久隆(源左衛門信濃)へ至る北郷氏庶流の系譜関係を示した系図。
延元四年六月三日 / 冊子 720~721頁
村田輔阿闍梨如厳が島津図書助忠国に属して淡河城・碇山城などで軍忠を尽くした軍忠状。六月一日の淡河城攻め、同二日の城郭突入、同十三日の再合戦、東郷彦三郎・和泉保末らとの戦闘、敵の討取り・追散しを列挙して証判を求める。
暦応二年七月日 / 冊子 721~722頁
比志島彦一丸代椎原次郎惟種が守護御方に属して軍忠を尽くした軍忠状。前年六月から淡河城・湊川・碇山城などへ転戦し、同国入来院の戦闘、七月の攻城、島津図書助忠国らとの合戦を列挙して参刻・証判を求める。
12月10日 / 冊子 468~469頁/原整理番号 458の4
林田図書助が長岡監物へ送った書状。朝に高来有馬へ着船し、板倉・石谷・松倉らと城攻めを協議したこと、捕縛者の供述、城内の鉄炮や被仰付者の処置、帰宅伺いと返事の受領を報告する。追而書で有馬玄蕃頭の人数も召し連れられたと伝える。
年月日未詳 / 冊子 720頁
暦応二年正月以降の和泉実忠らの軍事行動を記す系譜記事。島津忠国の指揮で和泉庄を守り、淡河城・橋木城・湊川・碇山城などへ転戦し、敵城の攻略、退却、攻温田城、諸将の軍功を時系列で記す。
年月日未詳 / 冊子 340頁
島津家久譜の記事。龍伯義久の死去を徳川秀忠が聞き、上使を遣わして弔意を表し、香典銀子五百枚を贈ったこと、青山図書助から比志島国貞へ弔書が届いたことを記す。
年月日未詳 / 冊子 223~224頁/原整理番号 333-5
藪図書助と佐分利加左衛門も三の丸一番乗りを申し出たが、その事実は不分明であると記す。未刻、戸田左門の対面所で休息していた上使衆・諸大将は、物見櫓から鍋島勢が出丸へ乗り入ったとの報を受けた。松平伊豆守は自ら櫓に上って確認し、諸勢は騎乗して城へ進み、三の郭へ乗り込んだ。記事後半は長岡佐渡勢の働きを記し、持筒頭らの鉄砲射撃、平破平太夫の一番槍、松野縫殿助・吉弘四郎太夫兄弟の首取りと証人を挙げ、長岡佐渡勢の働きについて杉山次郎太夫の差出があるとする。
年月日未詳 / 冊子 232頁/原整理番号 333-13
二月二十七日、佐分利加左衛門が鉄砲衆を率いて三の丸へ一番に乗り込んだと申し出たもの。この一番乗りには証人がいないとする。二の丸際で鉄砲を据えて敵を多数撃たせ、水之手口でも鉄砲を撃たせたと述べ、後者の証人として本文『図書助』に付された薮・萩の編者注を掲げる。
年月日未詳 / 冊子 441頁
伊集院氏の系図断片で、久兼から俊忠(侍従房)・弥五郎(図書助、初号伊集院、法名道實)へ続く系譜を図示する。