盛呑集
年月日未詳 / 冊子 411頁
『盛呑集』の記事で、庄内陣の際、高城から出撃した敵に新納小右衛門と黒田嘉兵衛が先進して槍を合わせ、城門まで追い込んだ戦功を記す。後に先陣を問われると、両者は互いに相手が先、自分は後だったと譲り合い、結局どちらが先陣か分からなかったという。
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年月日未詳 / 冊子 411頁
『盛呑集』の記事で、庄内陣の際、高城から出撃した敵に新納小右衛門と黒田嘉兵衛が先進して槍を合わせ、城門まで追い込んだ戦功を記す。後に先陣を問われると、両者は互いに相手が先、自分は後だったと譲り合い、結局どちらが先陣か分からなかったという。
寛永十三年九月廿日 / 冊子 572~587頁
上薩州に属する鹿児島衆中の屋敷について、屋敷の種別・反畝歩数と名請人を順次記録した検地帳。寛永十三年九月二十日に田尻嘉兵衛と岩元清左衛門が検地担当として署名する。
寛永十三年九月廿日 / 冊子 587~591頁
薩州御城内の鹿児島衆中屋敷を対象に、各屋敷の種別・反畝歩数と名請人を列記した検地帳。田尻嘉兵衛と岩元清左衛門が寛永十三年九月二十日付で作成した。
寛永十三年九月廿日 / 冊子 591~623頁
下薩州に属する鹿児島衆中の屋敷を対象に、屋敷の種別・反畝歩数と名請人を多数列記した大部の検地帳。寛永十三年九月二十日付で、田尻嘉兵衛と岩元清左衛門が検地担当として署名する。
寛永十三年九月廿日 / 冊子 623~628頁
西薩州に属する鹿児島衆中の屋敷を対象に、屋敷の種別・反畝歩数と名請人を列記した検地帳。寛永十三年九月二十日付で、田尻嘉兵衛と岩元清左衛門が検地担当として署名する。
寛永十三年九月廿日 / 冊子 582~583頁/原整理番号 10
寛永十三年の薩州鹿児島衆中屋敷御検地帳からの抄録。新堀より上の上屋敷・中屋敷の面積と、岩元清左衛門、白坂氏関係者ほか各屋敷の名請人・所在地を列記する。九月廿日、田尻嘉兵衛の名を記す。
〈寛延四年〉七月十六日 / 冊子 316~319頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書0938
平田靭負正輔が七月十六日、主殿久柄・伊勢兵部貞起・義岡相馬久中・主鈴久郷・鎌田典膳政昌・河野八郎左衛門通興へ、有徳院の遺物拝領と謝礼について報告し、国元の指示を求める。十日に上使小出信濃守から、太守・隅州へ脇差各一腰、菊姫へ御手鑑一帖が授けられ、同日の飛脚で知らせた。刀の外箱を整え、御馬廻川上喜藤太、新番荒武蔵右衛門、御歩行五代喜左衛門、愛甲嘉兵衛、足軽八人を付け、護送に差し立てた。川々の渡しを慎重に扱い、佐屋経由では日数を定めず油断なく参着するよう申し合わせた。 両殿は在国のため、取次の小左衛門・長澤牛兵衛を通じ、加賀守忠雅の名代御礼と上使への礼使札を相談した。十日に小左衛門が参上し、上使の書状を受け取り、両殿の謝礼使者について加賀守が承知したと伝えたが、牛兵衛の説明に食い違いもあり、翌朝七時ごろに改めて確かめた。遠国在住の両殿へ上使が遺物を授ける例は家中になく、謝礼は今後の家格に関わるため、御一門から名代を頼み、老中・若年寄などへは名代が廻勤し、側衆・物頭へは使者で御礼すること、国元でも先に定めた名代御礼の筋を通すことを求める。留守居と星野久務に内談し、平田半之丞・赤松甚右衛門の連絡も挙げ、上使への挨拶で誤解を生じないよう相談する。 さらに、両殿の名代御礼の節に京都諸司代・大坂城代へ通知するか、長崎へ留守居の使者と書状を送るかを尋ねる。十一日に小左衛門を通じ、御用番酒井左衛門尉から太守・菊姫・隅州の御礼を記した御付紙を渡す旨を聞き、御付紙の銘と書付二通、留守居の首尾書一通、佐々木の案文二通を送る。菊姫の表立った謝礼は御用番へは不要とされたが、御留守居から申し出た扱いと松平右近将監・上使への謝礼を照会し、深姫にも言及する。日光宮・御三家・御一門その他へ拝領を知らせるため、使者を通じた通知と隣国への伝達を相談する。末尾に印鑑一枚と別紙五通を送ると記す。
年月日未詳 / 冊子 244~245頁/原整理番号 191
寛永十三年三月八日、永春(竪野殿也)が種子島に着き、警固されたことを記す。同年三月二十五日、猿渡嘉左衛門・湯地嘉兵衛に上下人数十人が差し下され、本尊を踏ませたとある。川上又左衛門(忠通)が下島し、永俊を崇敬したことも記す。
元文二年二月十三日 / 冊子 427頁/整理ID 1001
島津継豊が幕府の使者を通じて御鷹の鶴一羽を芝邸で拝領したことを記す。
宝暦十三年九月(包紙十日、朱取次記録八日) / 冊子 987~989頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書2822
小松式部清香が九月、家老へ、帰国に伴う十八日・二十二日の脇年頭礼について、地頭らの太刀納入、寺社・山伏・町年寄・唐通事等の御目見、琉球在番と中山王の年頭使の御目見・着座を区分して伺う。着城後すでに御目見した組中諸士の再拝礼は不要とし、中山王の年頭使と新在番が一緒に御目見する先例を調べるよう求める。浄国院(島津吉貴)の初帰国時には礼がなかった先例を挙げ、外城の寺院・衆中等がわざわざ来る必要はなく、御請の日限に参合わせれば御目見する扱いを示し、長期滞在の難儀にも配慮する。帰国時と在国時の年頭規式の違いを踏まえて今後の作法を家老と相談して伺い、朱書には九月八日、赤松甚右衛門が上申して指示を受けた取次記録がある。
天保2年4月18日を含む(本文。冒頭の昇進祝い記事は日付なし) / 冊子 876~877頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書2458
重豪公御譜中の覚書。春の位階昇進後に来客が続き、招いた人々の前での余興や、庭の茶屋での動きを記し、森山安藝守・牧野敏負・嶋津又吉郎らの姓名を列挙する。続く四月十八日には右同断の祝儀で客を迎え、家老と御用人、医師らの立合いのもと見舞や休息所での吸物・銚子、外庭の案内などを記す。本文は冊子876~877頁にわたる。
天明元年十月二十四日 / 冊子 646頁/原整理番号 1836/整理ID 1836
御縁女の本丸入り・西丸引移りに際して、一般の贈物がどのように扱われるかを問い合わせる。使番を通じて品を同役へ差し越し、頂戴の相済み方を確かめたうえで、嘉兵衛殿への書状による御礼や、右付の者の参上などを相談する。本文中には有川勇馬・小倉喜藤太への拝領物、嘉兵衛殿御宅への御礼も記される。十月二十四日付。見出しは上・下二通の宛名を並べており、同日の1835の品目指図とは別文書として保持する。