南浦文集写本抜書・中表紙裏書
目録年月日記載なし / 冊子 196~198頁/原整理番号 16
「南浦文集写本」からの詩文・寺院記事の抜書に続き、国分正興寺の仁王・御真影一件愚考に付された中表紙裏書を収める。詩句、寺僧、焼失の伝承、表紙の箱書や書入を並べ、後続考証の参考史料とする。
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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
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目録年月日記載なし / 冊子 196~198頁/原整理番号 16
「南浦文集写本」からの詩文・寺院記事の抜書に続き、国分正興寺の仁王・御真影一件愚考に付された中表紙裏書を収める。詩句、寺僧、焼失の伝承、表紙の箱書や書入を並べ、後続考証の参考史料とする。
年月日未詳 / 冊子 38頁/原整理番号 130/整理ID 130
肝属郡内之浦郷の村市人弥三兵衛が、明和中に私蔵の米若干石を出して、同郷南浦村・小串村の飢えた民二百余人に施し、さらに私財で窮民を救ったことを記す。この冬十一月、その厚意を嘉して弥三兵衛に銅千疋を褒賞した。具体的な米量・賞与日の記載はない。出典は重豪公御譜中。目録は記事で年月日欄を空欄とする。
年月日未詳 / 冊子 18~19頁/原整理番号 3
伊地知季安が、日本儒学の開祖を林羅山のみとする見方を正し、桂庵玄樹・南浦文之の学統を諸書によって考証する書状。関係典籍の写し・貸借・返却を依頼し、既説の訂正点を示す。
年月日未詳 / 冊子 19~41頁/原整理番号 4
『漢学紀源』巻二で岐陽方秀・一慶・惟肖・景徐・桂悟から桂庵玄樹への禅僧の学統を諸書で考証する。伊地知季安は惟正・景召の伝承の異同を指摘し、桂庵の長州・薩摩での朱子学教授、南浦文之らへの伝授と詩文・唱和を抄録する。
寛永四年十一月吉日 / 冊子 78頁/原整理番号 6
如竹が、南浦文之が伏見で倭訓した『周易程伝本義』に和点を加えて刊行した経緯を記す跋。学び始めの者が理解しやすいよう梓行すると述べ、寛永四年仲冬吉旦に署名する。続いて、寛永六年九月に文之が如竹へ詩文集の謄写を命じ、中野道伴が刊行したことを注記する。
寛永六年九月 / 冊子 78~79頁/原整理番号 7
如竹が南浦文之の詩文を詩集・文集・戯言の三巻に編次し、後世へ伝えるため刊行した事情を記す跋。続いて藤堂高虎没後の去就、藩主子弟への講義、親族・郷人の救済、琉球での朱子学研究と人倫教化など、如竹の経歴を補記する。
貞享二年十二月十三日 / 冊子 87頁/原整理番号 10-8
島津久竹が愛甲喜春へ、文之和尚の『図書新註』への加点と桂庵和尚の入唐について約束した書付を求める。大龍寺不門の『大学』講談に触れ、文之一流でないことを惜しむ。後注は不門と岡山学派の系譜を考証する。
本文年月日未詳 / 冊子 286~287頁/原整理番号 59
『南浦文集』から、島津歳久の死を秀吉の西征と讒言に結び付ける文章を引く。季安は伊集院忠棟や天海をめぐる伝承と照らし、情報が忠棟へ漏れた経緯を考える。
年月日未詳 / 冊子 79~82頁/原整理番号 8
琉球滞在中の如竹が屋久島安房の親族・郷人へ送った教訓状。公儀への奉公、親への孝行、利己心の戒め、節酒・早起き、農作と日々の計画を具体的に説く。後半には如竹の薩摩召還、侍講、直諫、救貧、用水開削、林業、没年・法号、遺詩などを集成し、その儒学教育と地域社会への功績を伝える。
年月日未詳 / 冊子 82~83頁/原整理番号 9
如竹が白濱重昌へ、小春の寒さのなか柴火で身を暖める近況を伝え、旧交を懐かしみつつ面会を望んだ書状。末尾に『養善院 如竹』と署名する。後続に元和丙辰の試筆詩と編集注記を付し、如竹の文雅と交友を伝える。
天保十三年七月 / 冊子 138~140頁/原整理番号 35
佐藤一斎撰の桂庵禅師碑銘を、『漢学紀原附録』の表紙に続けて収める。桂庵の入明・朱子学受容・大学章句刊行・薩摩講学と文之への伝承を叙し、末尾に撰文年紀と画像賛を掲げる。さらに『梅窓筆記』の新旧儒学論・桂庵伝を引用し、文之との著述帰属の疑義を季安が注記する。桂庵画像の伝来・表装改修記も載せる。
天保十三年七月 / 冊子 140~142頁/原整理番号 36
佐藤一斎撰・鄭元偉書の桂庵禅師碑銘文。桂庵玄樹の来歴、入明と宋学受容、帰国後の薩摩講学・大学章句刊行、文之らへの学統を叙し、季安の顕彰依頼と画像賛を掲げる。末尾に天保十三年七月下澣の佐藤坦撰、道光二十三年三月上浣の鄭元偉書を記し、本碑は鹿児島市伊敷町桂庵公園にあるとの注を添える。
文禄4年9月28日 / 冊子 915頁
薩摩国菱刈本城内の南浦村・荒田原内町屋敷などについて、各地の石高を示して東郷源七郎へ給与する。 新知分の数量を列挙し、加増時は両名の判断で配分するとした、検地後の知行宛行を具体的に示す連署証状。
「寛永十七年」八月廿五日 / 冊子 140~141頁
九州沿岸巡見の幕府上使である間宮虎之助長澄と小濱久太郎嘉隆が、八月十日付の書状を淡路国穴賀で二十五日に受け取ったことを報じた連署書状。西国浦々の見分のため四国北浦から豊後へ渡海し、九州南浦を巡見する予定を示す。島津領内を通行する際、土地に不案内な場所では近辺の案内者を出し、悪天候時には引船などを手配するよう依頼している。
(寛文七年)七月十六日・十七日 / 冊子 537頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1218
島津図書が豊臣譜の誤記を指摘する覚書二通。島津又七郎忠豊と島津又太郎忠辰を区別し、出水領主忠辰の父系・朱印と、義弘弟家久の子忠豊の佐土原領・朝鮮戦功・関ヶ原戦死・安芸久雄相続を挙げる。又七改易という誤記の訂正を弘文院へ求めるが、南浦文集等に基づき旧板で世間に流布したものは直せないとの事情があり、今後板本を改めるよう求める。朝鮮感状と太閤朱印写など三通を渡す。七月十六日・十七日付。末尾には二通の正本が江戸上屋敷評定所にあるとの注と、九月八日に持ち下された覚書二通の内との付記がある。
年月日未詳 / 冊子 67~72頁/原整理番号 1
山川を題に島津家久・島津久元らが詠んだ和歌と、家久の山川津遊覧を迎えた正龍文岳の漢詩を収める。続く『漢学紀源』巻四の正龍篇は、山川正龍寺と海上交通、渡来僧による漢学の伝播、南浦文之の講義・刊行、如竹らの学統を諸史料からたどる。
年月日未詳 / 冊子 118~119頁/原整理番号 20-1
佐藤一斎撰の桂庵禅師碑銘草稿。桂庵玄樹の出自・修学・入明、宋学受容、帰国後の諸国滞在、薩摩での講学と『大学章句』刊行を叙し、南浦文之らへの学統を述べる。伊地知季安から桂庵伝を寄せられ顕彰の碑文を依頼された経緯を記し、末尾に撰文年紀と桂庵画像賛を添える。