SEARCH THE ARCHIVE

文書を探す

『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

検索範囲
すべての文書
読込量の目安
小
数行~半頁未満。短い書状、感状、証状、記事、本文省略や同文注記のみ。
中
半頁~1頁程度。一つの用件をある程度詳しく記すもの、複数項目を含む目録・交名。
大
1頁を超え3頁未満。複数の用件・事件・人物・地名を含む長文書、詳細な譜記事・合戦記録・日記・知行帳。
特大
冊子頁3頁以上。長大な日記・軍記・系図・知行帳・軍役帳。

18 件 (全巻)/ 1–18件を表示

ページ 1 / 1

後編3-No.290記事確認度 高

島津義弘譜

『島津義弘譜』から、義弘・忠恒らが南原城北側の松原大山に陣し、各隊とともに城を攻めた経過を記す。島津勢の横撃、首級四百二十一をはじめとする戦果、敵の自刎・降伏、日本側の損害と城中の混乱を具体的に掲げる。

登場人物
島津義弘、島津忠恒、加藤嘉明、日本軍、南原城守備軍
宛先
—
キーワード
島津義弘譜、南原城、松原大山、島津義弘、島津忠恒、首級、横撃、攻城戦
後編3-No.295文書確認度 高

南原城攻図

南原城の城郭・門・周辺地形を描き、日本軍諸隊の配置と攻撃方向を示した攻城図。島津義弘・忠恒ら諸将の陣所、進路、城を囲む山・川などを図示し、南原城攻略時の布陣を一覧できる。

登場人物
島津義弘、島津忠恒、宇喜多秀家、小西行長、日本諸将
宛先
—
キーワード
南原城攻図、城郭図、島津義弘、島津忠恒、日本諸将、陣所、攻撃方向、周辺地形
後編2-No.1089記事確認度 中

島津忠倍譜

島津忠倍が朝鮮で島津忠長とともに軍務を続け、慶長元年冬にいったん帰国したのち、翌年二月に再渡海した経歴を記す。 慶長二年八月の南原城攻略では強敵を斬り、その後は泗川城に在陣したといい、忠倍の朝鮮役での戦歴をまとめた家譜記事。

登場人物
島津忠倍、島津忠長
宛先
—
キーワード
島津忠倍、島津忠長、朝鮮出兵、帰国、再渡海、南原城、泗川城、慶長二年、戦功、家譜
後編3-No.172記事確認度 高

島津忠長譜

島津忠長譜のうち、日本軍諸将が南原城攻略を計画し、島津忠恒らの軍勢が朝鮮へ進発して攻城に加わるまでを記す記事。

登場人物
島津忠長、島津忠恒、日本軍諸将、朝鮮軍
宛先
—
キーワード
島津忠長譜、島津忠恒、朝鮮出兵、南原城、進軍、攻城
後編3-No.174記録確認度 高

大重平六覚書

大重平六が、南原城の攻撃と落城後の追撃、江南方面への転戦、各地の戦闘や水軍との交戦を回想した覚書。諸将の働き、死傷者、軍船・兵糧の確保、戦功への褒賞までを具体的に記す。

登場人物
大重平六、島津義弘、島津忠恒、日本軍諸将、朝鮮軍
宛先
—
キーワード
大重平六、南原城、江南、朝鮮出兵、追撃、水軍、戦功、軍船、兵糧
後編3-No.275記事確認度 高

征韓偉略

『征韓偉略』から、日本軍が三道に分かれて南原へ向かい、宇喜多秀家を将とし、小西行長を先鋒、島津義弘らを諸隊に配したことを記す。南原城を守る明将楊元らとの攻防、兵数、包囲と攻略準備を叙述する。

登場人物
宇喜多秀家、小西行長、島津義弘、蜂須賀家政、長宗我部元親、加藤嘉明、生駒一正、楊元
宛先
—
キーワード
征韓偉略、南原城、宇喜多秀家、小西行長、島津義弘、楊元、三道進軍、包囲戦
後編3-No.276記事確認度 高

征韓偉略

『征韓偉略』から、二十五日夜、日本軍が矢・鉄砲を放って南原城を包囲し、月明かりを利用して攻めた経過を記す記事。明将楊元が防戦しながら城を脱出し、日本軍が城内へ突入して明・朝鮮兵四千余を討ったとする。

登場人物
宇喜多秀家、小西行長、楊元、日本軍、明・朝鮮守備軍
宛先
—
キーワード
征韓偉略、南原城、二十五日夜、夜襲、宇喜多秀家、小西行長、楊元、鉄砲、落城、四千余人
後編3-No.288記事確認度 高

島津義弘譜

『島津義弘譜』から、明軍の再編と日本軍の全羅道進攻を記す。南原城攻略のため日本諸将が軍を分けて進み、明将楊元らの守備軍と交戦して城を陥れ、さらに全州・黄石山方面へ進んだ経過、敵味方の損害と戦功を叙述する。

登場人物
島津義弘、島津忠恒、明将邢玠、楊元、日本諸将
宛先
—
キーワード
島津義弘譜、南原城、全羅道、明軍、邢玠、楊元、全州、黄石山、城攻め
後編3-No.291記事確認度 高

島津家久譜

『島津家久譜』から、義弘・忠恒ら日本諸将が全羅道へ進み、左右の軍に分かれて南原城を包囲した経過を記す。八月十五日夜の総攻撃で城を陥れ、明将楊元が逃れたこと、敵兵の討取りと日本軍の北進までを叙述する。

登場人物
島津家久、島津義弘、島津忠恒、宇喜多秀家、日本諸将、楊元
宛先
—
キーワード
島津家久譜、全羅道、南原城、八月十五日、総攻撃、楊元、落城、北進
後編3-No.292記事確認度 高

島津以久譜

『島津以久譜』から、慶長二年八月、義弘・忠恒ら日本諸将が南原城を攻撃して守備軍を破り、同城を占領したことを簡潔に記す。

登場人物
島津以久、島津義弘、島津忠恒、日本諸将
宛先
—
キーワード
島津以久譜、島津義弘、島津忠恒、南原城、攻城、占領
後編3-No.293記事確認度 高

島津豊久譜

『島津豊久譜』から、八月十五日の南原城攻めで豊久が敵陣へ攻め入り、首級十三を得た戦功を記す。家臣の戦死にも触れ、翌十六日に首級を日本へ送り、秀吉から賞賛を受けたとする。

登場人物
島津豊久、日本諸将、豊臣秀吉
宛先
—
キーワード
島津豊久譜、南原城、八月十五日、首級十三、家臣戦死、豊臣秀吉、戦功
後編3-No.297記事確認度 高

北郷三久譜

『北郷三久譜』から、秀吉の朝鮮出兵命令により北郷三久が軍代として兵を率い、義弘・忠恒らと南原城攻略に参加した記事。八月十五日夜の攻城で戦功を挙げたことを記す。

登場人物
北郷三久、島津義弘、島津忠恒、豊臣秀吉
宛先
—
キーワード
北郷三久譜、北郷三久、軍代、島津義弘、島津忠恒、南原城、八月十五日、戦功
後編3-No.302文書確認度 高

豊臣秀吉朱印状

豊臣秀吉が八月十六日付の注進を披見し、南原城を十三日に包囲して十五日夜に落城させ、島津義弘勢が首級四百二十一を得た戦功を賞した朱印状。先の番船捕獲にも触れ、今後も諸将と相談して堅固に軍務を進めるよう命じる。

登場人物
豊臣秀吉、島津義弘、島津忠恒、増田長盛、長束正家、石田三成、前田玄以
宛先
羽柴兵庫頭とのへ・島津又八郎とのへ
キーワード
豊臣秀吉朱印状、南原城、首級四百二十一、島津義弘、島津忠恒、番船捕獲、戦功評価
後編3-No.303文書確認度 高

豊臣秀吉朱印状

豊臣秀吉が島津豊久の八月十六日付注進を披見し、南原城攻めで首級十三を得たことと、先の番船捕獲を賞した朱印状。引き続き諸将と協議し、確実に軍務を遂行するよう求める。

登場人物
豊臣秀吉、島津豊久、増田長盛、長束正家、石田三成、前田玄以
宛先
島津又七郎とのへ
キーワード
豊臣秀吉朱印状、島津豊久、南原城、首級十三、番船捕獲、戦功
後編3-No.304文書確認度 高

増田長盛・長束正家連署状

増田長盛・長束正家が、義弘・忠恒の南原城攻略の注進を秀吉へ披露し、城を即時に攻め落として首級目録を届けた働きが高く評価されたと伝えた連署状。全州方面へ進軍したとの報を受け、続報を待つと述べる。

登場人物
増田長盛、長束正家、豊臣秀吉、島津義弘、島津忠恒
宛先
羽柴兵庫頭殿・島津又八郎殿御報
キーワード
増田長盛、長束正家、南原城、首級目録、豊臣秀吉、全州、軍功披露
島津世禄記-A34記事関連史料(外伝)確認度 高

破番船陥南原事

慶長二年、義弘・忠恒父子が朝鮮沿岸の敵船団を攻撃し、続いて南原城を攻略した経過を記す。巨済付近で日本軍の往来を遮断していた朝鮮水軍に対し、夜襲で百六十余艘を焼き、多数を海際まで追撃したとする。この戦果に秀吉は朱印状で賞し、明軍が進出した場合は軽挙せず対陣して注進せよと命じた。八月、諸将が南原城を包囲すると、義弘は久保を失った経験から忠恒に血気の勇を戒めるが、自ら三首を得たことで忠恒も単騎で城へ突入し、敵が退いた後に戻る。島津勢は首四百二十一を得て鼻を切り、日本へ捷報とともに送ったとされ、秀吉から再び賞状を受ける。その後、父子は泗川の旧館城・新城へ移る。後半には秀吉政権の在番・講和方針を示す朱印状、諸城から釜山浦へ兵粮・鉄砲・玉薬を集める命令、朝鮮王子や貢物を条件とする撤兵案、徳永寿昌・宮木長次の起請文などを収める。海戦・南原攻略の武功と、戦争終結を見据えた講和・撤兵の実務が併記された記事である。

登場人物
島津義弘、島津忠恒(家久)、豊臣秀吉、加藤嘉明、小西行長、石田三成、増田長盛、長束正家、徳永寿昌、宮木長次
宛先
—
キーワード
朝鮮水軍、南原城、首級、鼻塚、朱印状、在番、講和、撤兵
後編3-No.756文書確認度 高

島津義弘・同忠恒朝鮮陣戦没者供養碑文

島津義弘・忠恒が、慶長二年八月十五日の南原表と同年十月朔日の泗川表で討ち取られた明軍、ならびに海陸で戦死・病死した敵味方の軍兵を等しく仏道へ入れるため建立した供養碑文である。南原では島津勢の討取四百二十人、泗川では大明軍八万余の敗亡を記し、度重なる朝鮮の戦場での死者を弔う。

登場人物
島津義弘、島津忠恒
宛先
—
キーワード
朝鮮陣戦没者供養碑文、島津義弘、島津忠恒、南原城の戦い、泗川の戦い、明軍、戦死者、病死者、敵味方供養、仏道、慶長四年六月上澣