北郷忠直譜
年月日未詳 / 冊子 655頁
家久の病気により久志本式部少輔が鹿児島へ下向したこと、その時北郷忠直は江戸に在府しており、家久から忠直へ書状が与えられたことを記す記事。続けてNo.1040の書状を掲げる。
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年月日未詳 / 冊子 655頁
家久の病気により久志本式部少輔が鹿児島へ下向したこと、その時北郷忠直は江戸に在府しており、家久から忠直へ書状が与えられたことを記す記事。続けてNo.1040の書状を掲げる。
年月日未詳 / 冊子 677頁
寛永十四年七月に北郷忠直が帰国し、家久が忠直宅へ移って養生するため造営・修補が行われたことを記す。家久は見舞いを喜び、仮屋を新築して近日移る予定であり、北郷次右衛門を庄内へ遣わして普請を相談させると忠直へ伝えた。
年月日未詳 / 冊子 839頁
天文十六年、伊東勢が飫肥本城・新城を攻め、北郷忠直らが戦死し、攻防の末に新城が陥落した経過を記す。
年月日未詳 / 冊子 840頁
天文十六年、北郷忠直が飫肥南郷新城へ移り、伊東勢の攻撃を受けて戦死したのち、北郷方が新城をめぐって戦った経過を記す。
年月日未詳 / 冊子 845~846頁
天文十六年、飫肥・清水城などの戦闘で討死した北郷忠直ら島津方の武士を日付・戦場とともに列記する。
年月日未詳 / 冊子 846頁
天文十六年、伊東義祐方と北郷忠直・源七郎方が日向山東、清水城、姫木城などをめぐって戦った経過を記す。各城への攻撃・救援、北郷方と本田董親らの進退、諸将の討死を追い、城の帰属変化と敗兵の退却までをまとめる。
年月日未詳 / 冊子 473頁
寛永十二年二月十二日、伏見にいた島津家久のもとへ島津又八郎忠平・北郷式部大輔忠直が使者として赴き、島津光久と嫡孫虎寿丸の疱瘡快癒を祝賀・報告したことを記す記事。久元の書状も持参し、伊勢貞昌が披見後に国元の同職へ返書を送った。
(寛永十四年)四月十二日 / 冊子 655頁
本文ではNo.1040と同文であるため省略すると明記された家久書状。北郷忠直への近況照会、又八郎の到着と交代帰国、家久の腫物と療養、久志本への謝礼使者派遣を内容とする。
四月十二日 / 冊子 655頁
北郷忠直の無事を尋ね、又八郎が現地へ到着すれば交代して帰国する見込みを伝える。自身は腫物から毎日膿が出て未だ治癒せず療養中であり、久志本式部への謝礼として北郷佐渡守を派遣したことも知らせた書状。
(寛永十四年)九月十五日 / 冊子 677頁
本文はNo.1089と同文のため省略されている。帰国後の見舞いへの礼、養生のため居所を替える計画、仮屋の普請と庄内側との相談に関する家久書状を指す。
(寛永十四年)九月十五日 / 冊子 677~678頁
帰国後に高田橋甚左衛門尉を見舞いとして遣わしてくれたことを喜ぶ。病状を考えて養生のため居所を替え、相手方の新しい仮屋を少し普請して近日移る予定であること、庄内へ北郷次右衛門を遣わして普請を相談させることを伝えた書状。