殉国名薮
天正二年正月十九日 / 冊子 327頁
天正二年正月十九日の禰寝方面の合戦で戦死した喜入季久の弟忠通・久績と、季久配下の武士らを列挙する。地下・足軽を含めて十五人が戦死したとする。
SEARCH THE ARCHIVE
『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
3 件 (全巻)/ 1–3件を表示
ページ 1 / 1
天正二年正月十九日 / 冊子 327頁
天正二年正月十九日の禰寝方面の合戦で戦死した喜入季久の弟忠通・久績と、季久配下の武士らを列挙する。地下・足軽を含めて十五人が戦死したとする。
〈寛延三年〉十二月二十三日・二十五日 / 冊子 292頁/整理ID 旧記雑録追録5_文書0847
十二月二十三日、家重の使者近藤助八郎義實が芝邸へ来て歳末を祝い、夫人へ綿百把・干鯛一箱を贈った記事。同月二十五日には、前大樹吉宗の使者安藤太郎右衛門乘久が来て、夫人へ干鯛一箱を贈った。そのため重年は執政各位の第へ詣で、礼を述べた。夫人が立って後、毎歳同じ品を芝邸に贈られることが当家の先蹤となったため、初回の記事を載せ、以後の毎年の記録を省くという。二十三日は綿と干鯛、二十五日は干鯛で、使者・日付・贈答品を分けて記す。
文化11年10月6日(0097朱年と先月6日の対応)。朱到来12月廿八日夜 / 冊子 451~452頁/整理ID 旧記雑録追録7_文書無番号_0096
印刷(の2)・御付札有。倹約年限中の供人数と道中持道具の一部を減らしたい書付1通を掲げ、七月御用番牧野備前守の御用人菅沼助八郎を表示する。向こうから達しがあり今日中に1人出るよう用人から切紙が来たので、自分が出向いたところ右書付に御付札を付けて用人を通じ渡されたと報告する。10月6日、種子嶋次右衛門署、典膳様宛。追書は承知の上表方使者をもって御請するべきとし、今夜は夜陰となるので翌朝御請する旨を出会用人に相談済と記す。朱記は来年の下国供廻等減少の事、12月廿八日夜到来として田中金兵衛・竹内鐵之助・河野藤助便上の表示を伴う。文化11年は0097朱年と先月6日との対応による。七月提出、十月返付、十二月到来の各段階を分け、御請の予定を実施済にしない。