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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w5:166系図/惟宗姓大寺氏の家老・官途・養子関係旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

惟宗姓大寺氏系図

惟宗姓大寺氏について、保音(弾正忠入道幸阿)・武幸から元幸、義幸、清幸、高幸、資保、衡幸らを経て近世の後裔へ連なる系図。元幸を島津元久の家老、衡幸を島津久豊の家老と記し、美作守・紀伊守・兵部少輔・治部少輔などの官途と幸善・幸栄・応正・幸朝・幸祐等の法名を添える。衡幸流の宗二郎が梶原氏の養子となったこと、兼幸流と公幸流の房太郎・彦二郎・千代若丸らの分岐も示す。

登場人物
保音、武幸、元幸、島津元久、義幸、清幸、高幸、資保、衡幸、島津久豊、宗次郎、宗二郎、兼幸、保親、公幸、梶原氏
宛先
—
キーワード
惟宗姓大寺氏系図、保音、弾正忠入道幸阿、武幸、元幸、島津元久家老、義幸、清幸、高幸、資保、衡幸、島津久豊家老、宗次郎、宗二郎、梶原氏養子、兼幸、保親、公幸、美作守、紀伊守、兵部少輔、治部少輔、法名
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:100系図・伴家肝属氏正統近代の家譜旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓肝付氏正統系図

伴家肝属氏の近代の家系を兼続以下の枝筋までたどり、子女・養子・婚姻、家督、官途・法名、所領、戦死や寺院関係を記した長大な系図。冒頭に宝永四年五月二十五日、改訂して御記録所へ差し出したと記し、兼続の弘治二年の口宣、良兼らの志布志大慈寺・日州の寺院や位牌をめぐる記事、兼長らの地頭職・知行、兼道らの島津家との関係や慶長五年の戦死を載せる。後段には享保年間の太刀・銀馬代や家格に関する願い、僧籍に入った者、女性の婚姻・離別も記し、宝永四年の提出後にあたる年次の記事も含む。単なる直系表ではなく、分家・養子筋と後年の由緒主張を併記した点に特徴がある。

登場人物
兼続、良兼、兼長、兼吉、兼道、兼盛、兼康、兼幸、兼辛、兼親、年兼、経兼、治兼、兼群、島津家久、島津義久、島津龍伯、伊東義祐、大友宗麟
宛先
なし(系図。冒頭に御記録所への差出を記載)
キーワード
伴家系図、肝属氏正統、宝永4年御記録所提出、兼続、良兼、兼長、兼道、兼辛、兼康、兼幸、年兼、経兼、治兼、兼群、志布志大慈寺、日州、地頭職、養子・婚姻、慶長5年戦死、享保年間の家格・拝領願、太刀・銀馬代
旧記雑録拾遺 著作史料集5-文書ID A:6-3願書旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

弘誓寺宗珉願書

串良院慈雲山弘誓寺の宗珉が御地頭に寺免を願った書状。寺は志布志大慈寺開山の弟子徳翁の開基で島津氏久を檀那とするが、肝付氏の領知時に寺が破却され、書物や知行目録を失ったと述べる。氏久の位牌を今も安置していることを寺免の根拠に挙げる。

登場人物
宗珉、島津氏久、徳翁和尚、肝付兼幸
宛先
串良地頭
キーワード
弘誓寺、宗珉、島津氏久、徳翁和尚、肝付兼幸、寺免、位牌、知行目録、願書
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w2:22-1系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伴姓肝付氏庶流系図

舒明天皇・天智天皇・大友皇子を起点に伴姓の祖系を示し、兼経・兼益以下の肝付氏と庶流を配する系図。萩原・救仁郷・安楽・検見崎・北原・和泉・岸良・野崎・川南・鹿屋・小野口・山下など各氏の分出を明記する。兼尚が鎌倉在府中、兼重が留守・番代を務め、その子秋兼が兼尚の養子となって嫡家を相続した経緯を載せる。後段では兼続(法号省釣)の永正八年誕生、永禄五年の松山・志布志知行、永禄九年十一月十五日の志布志での死去、良兼・兼勝・兼樹・兼包・兼政らの続柄を記す。兼政は早世した良兼の娘を妻として嫡家を相続し、慶長五年九月十五日に美濃国関ヶ原で戦死したとし、兼元の島津元久上京供奉や兼忠の頴娃拝領にも触れる。

登場人物
舒明天皇、天智天皇、大友皇子、余那足、善名、善男、仲用、仲兼、兼遠、兼行、行貞、兼貞、兼俊、兼経、兼益、兼員、兼任、兼綱、貞、兼友、兼幸、行俊、兼藤、兼尚、兼重、秋兼、兼光、兼廣、宗兼、信兼、兼氏、兼朝、久兼、兼政、兼続、良兼、兼勝、兼樹、兼包、兼元、兼忠、島津元久、島津久豊、島津忠朝、伊東義祐
宛先
—
キーワード
伴姓肝付氏庶流系図、天智天皇、大友皇子、伴姓、肝付氏、萩原氏、救仁郷氏、安楽氏、検見崎氏、北原氏、和泉氏、岸良氏、野崎氏、川南氏、鹿屋氏、小野口氏、山下氏、兼尚、秋兼、養子、嫡家相続、兼続、省釣、松山、志布志、兼政、慶長五年、関ヶ原合戦、戦死、島津元久、上京供奉、頴娃、系図、庶流
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:62系図・鹿屋氏と伴姓諸流旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

鹿屋氏系図

鹿屋氏を天智天皇・大友親王から伴姓の余那足・善名・善男へつなぎ、仲用・仲兼・兼遠・兼行以下の多くの枝を図示した系図。善男の嘉祥3年の流罪、兼永が高城で宮方の攻撃を受け兄弟らと討死した記事、兼雄の鹿屋院長谷山城での合戦、忠兼の島津殿惣奉行・鹿屋下城の奪取など、系線に軍事・奉公記事を添える。兼好の加治木・千本などでの合戦と河野辺内五町の給付、兼直の平田との関係と弟の子の猶子化、兼健が幼時に伯父兼直の養子となり高隈を領した経緯、兼家の鹿屋での討死も記す。女性の新納氏・祢寝氏への婚姻、伯父から三俣院を譲られた兼重、鹿屋・肝付・河内・平田などへ広がる諸流の官途・法名・養子・没年を収める。これらは各人物に付された系図上の伝承・注記であり、成立年月日や一つの発給行為を示す文書ではない。

登場人物
天智天皇、大友親王、余那足、善名、善男、仲用、仲兼、兼遠、兼行、兼永、兼雄、忠兼、兼好、兼直、兼賢、兼健、兼幸、兼家、兼重、兼久、兼国、兼俊、兼宗ほか鹿屋・肝付系諸流
宛先
なし(系図)
キーワード
鹿屋氏系図、天智天皇、大友親王、伴姓、余那足、善男、嘉祥3年流罪、兼永、高城、兼雄、鹿屋院長谷山城、忠兼、島津殿惣奉行、鹿屋下城、兼好、加治木、千本、河野辺五町、兼直、平田、兼健、高隈、兼家討死、新納氏、祢寝氏、兼重、三俣院、分流、婚姻、養子、官途、法名
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w8:63系図・伴姓鹿屋氏旧記雑録拾遺暫定版確認度 中

伴姓鹿屋氏系図

天智天皇・大友親王から伴姓の善名・善男を経て鹿屋氏に至る系線を掲げ、兼俊を肝付城高山の領主、兼任を萩原、俊貞を安楽、行俊を和泉、兼高を梅北とする諸分流を図示する。宗兼が父兼石から鹿屋院の弁済使職を譲られ、鹿屋を家号としたという名字の由来が中心記事で、日州三俣院の領主領阿との関係も記す。永和の乱に宮方へ属した兼永と高城での戦死、兼雄の鹿屋院長谷山城での戦闘、忠兼の島津元久の家老職、兼好の加治木・千本方面での軍功、幼い兼健が伯父兼直の養子となり平田兼宗の口添えなどを経て高隈を領した経緯を添える。弘治2年8月17日の日州国合原の北郷氏・肝付氏戦では肝付氏に加勢した兼豊が戦死し、幼い兼清は鹿屋を離れて日州志布志に住んだことも記載する。後半は日州・隅州の地頭職、改名・法名、婚姻・養子と各家への分岐を追い、元禄・正徳・享保・宝暦・安永期の出生・死亡・居所まで記す。系図中の古い祖系・軍歴は本文に記された家伝として扱い、文書全体の成立年とは区別する。

登場人物
天智天皇、大友親王、善名、善男、兼俊、兼任、俊貞、行俊、兼高、兼石、宗兼、兼永、兼雄、忠兼、兼好、兼賢、兼健、兼幸、兼豊、兼清、兼方、兼治、兼明、兼次、兼平、兼澄、兼庸ほか鹿屋氏諸流
宛先
なし(系図)
キーワード
伴姓鹿屋氏系図、天智天皇、大友親王、善名、善男、兼俊、肝付城高山、萩原、安楽、和泉、梅北、宗兼、鹿屋院弁済使職、鹿屋家号、領阿、三俣院、永和の乱、宮方、高城、兼雄、長谷山城、忠兼、島津元久家老、兼好、加治木、千本、兼健、兼直、平田兼宗、高隈、弘治2年8月17日、国合原、北郷氏、肝付氏、兼豊戦死、兼清、志布志、地頭職、養子、婚姻、近世家系