樺山信久譜
年月日未詳 / 冊子 654頁
本田次郎左衛門尉の専横、本田因幡守の娘と樺山信久の婚姻関係、曽於郡の給付と返還をめぐる経緯を記し、大永五年九月二日に因幡守と太郎左衛門尉がそれぞれ城を築いたとする記事。
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年月日未詳 / 冊子 654頁
本田次郎左衛門尉の専横、本田因幡守の娘と樺山信久の婚姻関係、曽於郡の給付と返還をめぐる経緯を記し、大永五年九月二日に因幡守と太郎左衛門尉がそれぞれ城を築いたとする記事。
年月日未詳 / 冊子 671頁
大永六年、島津忠兼が忠良一族へ国政を委ねようとした時期の樺山信久の動向を記す。信久は虎寿丸を後継者として支え、肝付三郎五郎・本田紀伊守・樺山助太郎らと諸家の帰属、領地配分、奉公条件を協議し、新体制への移行を調整した。
大永七年二月六日 / 冊子 673~674頁
樺山信久が肝付三郎五郎に、三か国がどのように変動しても二心なく相談し、互いに申披くべきことを誓った契状。
大永七年二月十九日 / 冊子 674頁
樺山信久が相州様に、世上がいかに転変しても二心なく頼り、助成を受けたうえは自然と和議に背く者を取り締まると誓った契状。
年月日未詳 / 冊子 683~684頁
島津勝久が虎寿丸(貴久)へ国を譲った後の政変を、樺山信久の立場から記す。島津忠兼・肝付越前守らの動向、加治木・伊作・鹿児島方面の戦闘、村田越前守らとの関係を追い、信久一族が対立する勢力間で帰属を選び奉公を継続した経過を示す。
年月日未詳 / 冊子 712~713頁
天文元年、世情が不穏となるなか、島津忠良・貴久方と伊東・北原方が高城をめぐって対立した経過を記す。樺山信久・北郷忠相・島津忠朝らが城郭と交通路を確保し、敵方の進出を防ぎながら攻防を進めた。高城支配が諸勢力の同盟関係を左右したことを示す。
年月日未詳 / 冊子 672~673頁
大永七年二月、樺山信久と梅岳君(島津忠良)側の盟約、肝付兼演らの起請を中心に、守護家と領主層の帰属変化をまとめた国史記事。伊集院・加治木・帖佐をめぐり、島津勝久方と忠良方が対立し、諸氏が同盟・離反した経過を諸系図・旧譜から集成する。守護権力再編の基礎史料。
大永七年二月廿一日 / 冊子 675頁
島津忠良が樺山信久に、世上がいかに転変しても二心なく頼り、助成を受けたうえは和議に背く者を取り締まることを誓い、日本国大小神祇に起請した契状。
年月日未詳 / 冊子 676頁
島津勝久・虎寿丸をめぐる政局で、肝付兼演・越前守らが忠節を示し、日新(忠良)と樺山信久らが鹿児島・伊作方面で協力関係を整えたことを記す。
年月日未詳 / 冊子 684~685頁
樺山信久が島津勝久の御座へ奉仕し、加治木・鹿児島方面の戦闘に関わった経過を玄佐が記す。村田越前守ら家臣の処遇を調整し、島津忠良方との関係を踏まえて、新納・本田・北原諸家の所領と帰属を再編した政治・軍事上の対応を伝える。
(記事) / 冊子 150頁
高城郡弁済使ならびに吉枝名の相伝関係を示す武光氏系図。高信・信康・信久・光信・實信・高重らから師重・師永・兼光・盛光・兼重・兼我・伊兼などへ続く系譜を図示し、入来院八代重長・九代重茂の法名や婚姻・親族関係に関する注記も付す。
年月日未詳 / 冊子 612~615頁
新納忠親の二男信久を祖とする支流系図。久雪が妻方の縁で肝付氏を称して溝辺に住み、久林が肝付兼寛に仕え溝辺地頭となったこと、久信が喜入へ移住したこと、久宥以下の養子・婚姻・生没年を記す。
天正十年~天正十二年三月二十四日 / 冊子 763~764頁
天正十年の田尻救援から翌十一年の有馬救援、さらに天正十二年三月二十四日の島原合戦までを叙述する長編軍記。深江攻撃で新納忠嘉が戦死した後、家久を大将とする約千五百騎が有馬勢と合流し、寡兵で龍造寺の大軍を破った。川上忠堅らが隆信を討ち、家久・豊久以下が奮戦して敵首三千余を得、有馬氏へ旧領の半ばを返し、日上・島原の守備を定めた。
(寛文九年)三月三日 / 冊子 555頁/整理ID 旧記雑録追録1_文書1293
稲葉正則が島津光久へ、将軍徳川家綱が健勝であるとの報告を承知し、織田内記信久との屋敷替えが将軍の御前で認められたとの知らせと使者派遣を受け、老中間で相談して将軍へ報告すると答えた書状。
年月日未詳 / 冊子 708~711頁
樺山氏七代信久の二男豊高丸を祖とする庶流系図。豊高丸早世後に頴娃兼有の嫡男久増を後嗣としたこと、久如が出水へ移り子孫が出水士となったこと、伯母の養子となり新恩地五十石を継いだ久明、久輿以下の相続を記す。