後編3-No.1374記録確認度 高
帖佐宗辰覚書 翻刻・訳文あり
年月日未詳 / 冊子 658-659頁
関ヶ原敗戦後、大坂で囲われた御前様・御懐様・宰相様について、真言宗僧の仙秀坊が奉行所へ働きかけ、御免書を得て下向の準備を整えた。立花飛騨守の助力で九月十九日夜に出船する予定のところ、堺へ到着した島津義弘(惟新)から川口で待つよう連絡があり、立花も同行して川口へ下り、義弘の船へ乗り移って帰国した。
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年月日未詳 / 冊子 658-659頁
関ヶ原敗戦後、大坂で囲われた御前様・御懐様・宰相様について、真言宗僧の仙秀坊が奉行所へ働きかけ、御免書を得て下向の準備を整えた。立花飛騨守の助力で九月十九日夜に出船する予定のところ、堺へ到着した島津義弘(惟新)から川口で待つよう連絡があり、立花も同行して川口へ下り、義弘の船へ乗り移って帰国した。
年月日未詳 / 冊子 663-664頁
島津方の人質を退去させる手形がないため、使僧を大坂城へ遣わした。仙秀坊は島津義弘(兵庫頭・惟新)が豊臣秀頼のため関ヶ原で戦死したと申し立て、人質を国元へ下すよう求め、返答が出るまで一日一夜城に詰めて手形を得た。出立時には後に残る者が必要となり、山田弥九郎が残留を申し出た。
年月日未詳 / 冊子 687-689頁
井尻弥五助が徳川家康への書状を携えて江戸へ向かい、水口で厳しい改めを受けて拘禁された後、釈放されて伏見攻めや関ヶ原退却に供奉した経緯を記す。住吉で義弘が切腹を決意すると供衆も殉死を覚悟したが、大坂の夫人方が無事との報で中止し、仙秀坊が人質退去の手形を得て一同は帰国した。