後編3-No.1374記録
帖佐宗辰覚書
年月日未詳
確認度高
概要
関ヶ原敗戦後、大坂で囲われた御前様・御懐様・宰相様について、真言宗僧の仙秀坊が奉行所へ働きかけ、御免書を得て下向の準備を整えた。立花飛騨守の助力で九月十九日夜に出船する予定のところ、堺へ到着した島津義弘(惟新)から川口で待つよう連絡があり、立花も同行して川口へ下り、義弘の船へ乗り移って帰国した。
登場人物
帖佐宗辰、島津義弘(惟新)、御前様、御懐様、宰相様、仙秀坊、立花飛騨守
宛先
該当なし
キーワード
帖佐宗辰覚書、島津義弘(惟新)、大坂、人質、仙秀坊、御免書、立花飛騨守、川口、堺、出船、帰国
冊子頁
658-659頁
読込量
大
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★★★★★
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(5)572~683頁(慶長5).pdf
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採用済みの翻刻・訳文
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原文写し
管理人採用済み『仝』
一御囲人と成被成御座 御前様・御懐様・宰相様御事ハ、関ヶ原軍破、殿様御戦死被成給ふと聞召御迷惑之処ニ、眞言宗の出家仙秀坊、学文として大佛の寺へ有しか、傳承られ則御奉行所へ進々出、泪を流して侘言被申、御前様御暇を乞奉り、御免書を取て此方へ持参被申也、依て御下向被成=究候処、立花飛騨守殿此方へ御使有けるハ、御前様御事ハ如築川御同心被成、御國許へ御送り可被成との御事にて、九月十九日之晩ニ御出舟可有と相定候処、殿様境へ御着給ひ、境より御使有けるハ、川口へ御舟を寄御待可有間、御前様・宰相様川舟へ被召、御下り可被成旨被仰遣、上下喜悦の思ひをなし、悦ひあふ事無限、然間立花飛騨守殿へ此等之由被仰遣けれハ、立花殿被仰ハ、先 兵庫頭様御安堵被成、御下向之儀大慶ニ被思召也、私もし今晩打立申、川口迄御同心可有とそ、御同舟にて川口へ御下り御船へ御乗り移り給ひ、御下着之儀誠ニ/\不思議の御事なり、
- 根拠・参照箇所
- geminiによる原文写し
- 投稿者
- keicho
- 投稿日
- 2026-08-10
書き下し文
管理人採用済み一、御囲(かこ)い人と成り被成(なされ)御座(ござ)候(そうろう)御前様・御懐(懐)様・宰相様御事(おんこと)は、関ヶ原軍(いくさ)破れ、殿様御戦死被成給(なされたま)うと聞召(きこしめ)し御迷惑のところに、真言宗の出家仙秀坊、学問として大仏の寺へ有りしか、伝承(でんしょう)られ則(すなわち)御奉行所へ進み進み出で、涙を流して侘(わび)言被申(申しなされ)、御前様御暇(おいとま)を乞い奉り、御免書を取りて此方(こちら)へ持参被申(申しなされ)なり。
よって御下向(ごかこう)被成るべく究(きわま)り候ところ、立花飛騨守殿此方へ御使有(あり)けるは、御前様御事は築川の如く御同心被成(なされ)、御国許(ごくにもと)へ御送り被成るべしとの御事にて、九月十九日の晩に御出舟あるべしと相定(あいさだまり)候ところ、殿様境(さかい)へ御着給い、境より御使有けるは、川口へ御舟を寄せ御待ちあるべき間、御前様・宰相様川舟へ召され、御下り被成るべき旨仰せ遣わされ、上下喜悦の思いをなし、喜び合うこと無限(かぎりなし)。
然(しか)る間立花飛騨守殿へ此等(これら)の由仰せ遣わされければ、立花殿仰せられは、先(まず)兵庫頭(ひょうごのかみ)様御安堵被成(なされ)、御下向の儀大慶に思し召されなり、私も今晩打ち立ち申し、川口まで御同心あるべしとぞ、御同舟にて川口へ御下り御船へ御乗り移り給い、御下着(ごちゃく)の儀誠に誠に不思議の御事なり。
- 根拠・参照箇所
- geminiによる書き下し文
- 投稿者
- keicho
- 投稿日
- 2026-08-10
現代語訳
管理人採用済み一、人質として大坂(屋敷)におられました御前様(亀寿姫)、御懐様・宰相様(島津義弘の妻・実窓院)のお噂についてのことでございます。
関ケ原の戦いで西軍が敗れ、「(島津義弘)殿様が御戦死なさった」とお聞きになり、皆々様が深く困惑(落胆)しておられたところ、真言宗の僧である仙秀坊(せんしゅうぼう)という者が、学問のために大仏の寺(京都の方広寺)に滞在しておりました際、この噂を耳にいたしました。仙秀坊はただちに(徳川方の)御奉行所へと進み出て、涙を流して申し開き(お詫びと交渉)を行い、御前様方の解放をお乞い申し上げ、無事に通行許可証(御免書)を取得してこちら(大坂屋敷)へ持参いたしました。
こうして(薩摩へ)ご帰国なさることが決まりましたところ、立花飛騨守殿(立花宗茂)からこちらへお使者があり、「御前様方のご脱出につきましては、築川(での協力)の時のように全面的にご協力申し上げ、お国元までお送りいたしましょう」とのことでしたので、9月19日の晩に出船すると決まりました。
ところがちょうどその時、(戦死したと思われていた義弘)殿様が堺にお着きになり、堺からお使者が来て、「川口(大坂の河口付近)へ船を寄せ、そこで待っているように。御前様と宰相様は川舟にお乗りになって(河口へ)下っておいでになるように」との殿様からの上意が伝えられました。(死んだと思われていた義弘公の生還を知り)身分の上下を問わず誰もが深い喜びを感じ、互いに喜び合うこと限りがございませんでした。
そこで、立花飛騨守殿へもこの(義弘公が生還され指示があった)旨をお伝えいたしましたところ、立花殿はおっしゃいました。
「まずは兵庫頭(島津義弘)様が無事でおられ、ご帰国なさることは誠におめでたいことでございます。私も今夜出発し、川口まで同行いたしましょう」
こうして立花殿も同じ船で川口まで下り、御前様方はそこから(義弘公の)本船へと乗り移られました。
(関ケ原の激戦から義弘公が生還され、御前様方も無事脱出して)ご帰着された今回の件は、誠に誠に不思議(奇跡的でありがたい)出来事でございました。
- 根拠・参照箇所
- geminiによる現代語訳
- 投稿者
- keicho
- 投稿日
- 2026-08-10