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『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。

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12 件 (全巻)/ 1–12件を表示

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追録8-No.1246檄文旧記雑録暫定版確認度 中

人吉・球磨の有志士族が国家危急に際し禁闕守護を呼びかける檄文

人吉・球磨の有志士族が、前年の「長・肥」の暴動や鹿児島県の事件、刺客の供述をめぐる人心の不安を述べる。国家の危急を傍観できないとして、有志の士が同心合力して禁闕を守護し、国恩に報い、臣子の義務を尽くすよう呼びかける。国家非常の際にこの大義を担い、方向を誤らないよう求める。

登場人物
人吉・球磨の有志士族、村田畳平・黒田等
宛先
人吉・球磨の士族・住民
キーワード
西南戦争、人吉、球磨、有志士族、国家危急、同心合力、禁闕守護、国恩、朝命、村田畳平
追録6-No.1225-13覚書旧記雑録暫定版確認度 中

山岡市正覚書―届書の御家来・御使者の名義と正木志摩守の受領首尾

渋谷五郎右衛門が届を持参して用人吉田彦右衛門と会い、名義の儀を内談したところ、御家来の名で届けている場合は御使者の名で書面を認めるよう挨拶した旨を聞いたと述べる。そこで御使者と片書のある渋谷自身の名の届を直に差し出すと、志摩守が承知し、書面を受け取った旨を彦右衛門から聞いたとする。この首尾を十二月廿七日、渋谷五郎右衛門が佐久間九十九へ継書で申し出たことを記し、末は市正承之とする。目録は山岡久澄覚書として独立に掲げる。御家来・御使者という届出名義の扱い、書面の差出、志摩守の承知・受領、継書の伝達を分け、人名を別人へ変更したという話にはしない。

登場人物
市正(山岡久澄、目録)、渋谷五郎右衛門、佐久間九十九、正木志摩守、用人吉田彦右衛門
宛先
宛所なし(市正承之の覚書)
キーワード
届書名義、御家来/御使者、吉田彦右衛門内談、片書御使者、本人名の届差出、志摩守承知、書面御落手、十二月廿七日渋谷→九十九継書、市正承之
前編2-No.336記事確認度 高

肝属兼氏譜

今川了俊が満範を州郡へ派遣して兵を募らせ、人吉・真幸方面へ進軍させた経過を記す肝付兼氏譜。相良前頼らへの対応を進める一方、兼氏が出兵要請に応じなかったため、了俊は禰寝久清らを介して参陣と軍功を繰り返し催促した。探題による軍勢動員と肝付氏の消極姿勢を示す。

登場人物
肝付兼氏、今川了俊、今川満範、相良前頼、禰寝久清
宛先
—
キーワード
肝付兼氏、今川了俊、今川満範、相良前頼、禰寝久清、人吉城、真幸、募兵、出兵催促、軍功
前編2-No.342文書確認度 高

今川満範書状

今川満範が、三か国の人々の多くが味方するとの報を受けて球磨郡人吉へ到着したことを伝え、速やかな軍事行動と合戦の相談を求め、関係者へ送る文書の案文を添えた書状。

登場人物
今川満範、伊集院氏
宛先
伊集院殿
キーワード
今川満範、伊集院氏、球磨郡、人吉、三か国、軍事行動、合戦、案文、書状
前編2-No.343文書確認度 高

今川満範書状

今川満範が、三か国の人々の多くが味方するとの報を受けて球磨郡人吉へ到着したことを伝え、速やかな軍事行動と合戦の相談を求め、関係者へ送る文書の案文を添えた書状。

登場人物
今川満範、禰寝久清
宛先
禰寝右馬助殿
キーワード
今川満範、禰寝久清、球磨郡、人吉、三か国、軍事行動、合戦、案文、書状
後編6-No.148文書確認度 中

島津久慶書状

島津久慶が相良家中の騒動について国元の関係者へ指示した書状。相良家老清兵衛尉の縁者犬童牛兵衛らをめぐる殺傷・逃亡、江戸・肥後・人吉での捜索や追放者の処置を詳報し、薩摩へ逃げ込んだ場合は匿う者や協力者を含めて内密に調査・拘束し、早急に報告するよう命じている。追而書では大和守島津久章が高野山蓮金院へ登ったとの知らせを受け、蓮金院側から事情を聞き取るよう求めている。

登場人物
島津久慶、相良清兵衛尉、犬童牛兵衛、志岐小左衛門、島津久章
宛先
入来院左兵衛殿・東郷吉兵衛殿・種子田久左衛門殿 御宿所
キーワード
島津久慶、相良清兵衛尉、犬童牛兵衛、志岐小左衛門、島津久章、相良家中、殺傷、逃亡、江戸、肥後、人吉、捜索、追放、匿人、拘束、高野山、蓮金院、書状
追録7-No.1096記事旧記雑録暫定版確認度 高

重豪御譜(伊能忠敬・坂部貞兵衛の二班測量)

天文方伊能勘解由(忠敬注)・坂部貞兵衛(惟道注)が諸国を測量しており、各御目見以下の注を付す。今茲夏5月8日、領内の志布志に入り、福山に至って二班となって各所を測量した。9月2日、貞兵衛が加久藤から肥後人吉へ向かい、同18日、勘解由が長島から出境して去ったと記す。詳細は斉興譜を見よとし、斉興公譜は全文が同じで末尾だけ差があるとの説明も付す。編者按は重豪譜にも詳細は斉興譜とあるが今は詳しく記せないとし、なお文化6年12月16日条の記載を参照するよう述べる。入領・二班への分割・それぞれの出境日を区別し、参照先の具体記載や今回の本文にない全行程を補わない。

登場人物
伊能勘解由(忠敬注)、坂部貞兵衛(惟道注)、重豪、斉興
宛先
独立宛名なし(重豪公御譜中)
キーワード
天文方伊能勘解由忠敬坂部貞兵衛惟道、御目見以下、五月八志布志入領、福山二班各所測量、九月二加久藤肥後人吉貞兵衛、九月十八長島出境勘解由、斉興譜詳見編者按、文化六十二月十六条参照
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 12連署書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

谷口重成・西田時通連署書状

谷口重成・西田時通が、加藤肥後守改易に伴い必要時には薩摩からも人数を出すとの命を若衆中へ伝え、伊東祐慶に求めた馬の手配状況を報告する。肥後・球磨では商人から異変を聞かないものの、人吉で橋普請材木を日々引いているとし、新情報があれば直ちに注進すると五代友光へ申し送る。

登場人物
谷口重成、西田時通、五代友光、伊東祐慶、西田市左衛門、加藤忠広
宛先
五代友光
キーワード
加藤忠広改易、肥後加勢、馬調達、球磨、人吉、橋普請
旧記雑録拾遺 著作史料集3-文書ID w3:64系図旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

藤原姓相良氏系図

『藤原姓相良氏』と題し、入来家士・種田小仲蔵に伝わった相良氏系図。藤原南家の武智麻呂から乙麻呂・是公・雄友へ続く祖系と、弟阿・高扶・兼輔の系、維義・為憲以下の工藤氏系統を示す。為憲を工藤と号した遠江権介とし、時理・維景・時信ら駿河守の系を経て、維職を伊豆国押領使で工藤・伊東・林・狩野等の先祖とする。維清から入江原・船越・岡部・野辺・蒲生等、維遠から白尾等の諸流を分け、維頼―周頼を相良荘に結び付ける。光頼・頼広・頼繁・頼景を経て、長頼は相良三郎を称し、建久九年に球磨郡人吉へ住み始め、建長三年三月十日に没したと記す。頼親・頼平・宗頼・頼総以下から山北・山井・内田・高橋・多良木・佐牟田・上村・稲留・岩崎・窪田・黒肥地・肱岡などの諸家を分岐させ、頼氏・長氏・頼実・定頼以下について複数の異系譜を併記し、『是違重而可糺』と再考を促す注記を付す。後半は蘭牟田・薩摩瀬・村山・荒瀬・鶴田・竹下・西橋・蓑毛・深水・今村・丸目・丸野・青井・小垣などの庶流を掲げ、氏久公代の実長、応永年間・元久公代の祐頼、実続・長定・為続・治頼・長毎・長聖・長唯へ至る官途・実名・家系を記す。

登場人物
藤原武智麻呂、乙麻呂、是公、雄友、弟阿、高扶、兼輔、維義、為憲、時輔、時理、維景、時信、維兼、維永、維重、維職、維清、維遠、維頼、周頼、光頼、頼広、時邑、頼繁、頼景、長頼、頼親、頼平、宗頼、頼総、頼氏、頼俊、頼村、頼昌、頼貞、長政、岩崎次郎五郎、窪田与次郎、黒肥地太郎次郎、肱岡六郎五郎頼広、頼国、頼秀、長氏、頼実、定頼、頼純、前頼、実長、前続、祐頼、葵頼、実続、相模守、長定、為続、治頼、長毎、長聖、長唯
宛先
—
キーワード
藤原姓相良氏系図、入来家士、種田小仲蔵、藤原南家、武智麻呂、乙麻呂、是公、雄友、弟阿、高扶、兼輔、維義、為憲、工藤氏、遠江権介、駿河守、維職、伊豆国押領使、工藤、伊東、林、狩野、維清、入江原、船越、岡部、野辺、蒲生、相良荘、長頼、相良三郎、建久九年、球磨郡人吉、建長三年三月十日、多良木、佐牟田、上村、稲留、岩崎、窪田、黒肥地、肱岡、異系譜、要再考注記、蘭牟田、薩摩瀬、村山、荒瀬、鶴田、竹下、西橋、蓑毛、深水、今村、丸目、丸野、青井、小垣、島越、氏久公代、応永年間、元久公代、官途、庶流
旧記雑録拾遺 家わけ1-管理ID TMP-P02-NENE2-D0337書状旧記雑録拾遺暫定版確認度 –

刊本標題:今川滿範書狀

三ヶ国の人々が御方に志を寄せると承知している旨を伝える。 球磨郡の人吉に当日到着したので、急いで張行すれば喜ばしいと記す。 合戦の次第は返事に応じて相談することを述べる。 面談の書状案文を送り、御左右に応じ正文を送ると伝える。

登場人物
三ヶ國人/\
宛先
祢寝右馬助殿
キーワード
三ヶ國、人吉、球广郡、合戦、案文、正文
旧記雑録拾遺 著作史料集1-文書ID 473-1編者記事・伊勢貞昌相良頼兄交友旧記雑録拾遺暫定版確認度 高

伊地知季安記事

薩摩藩家老伊勢兵部少輔貞昌と、人吉城主相良頼寛の家老相良清兵衛頼兄との旧交を記す。江戸で島津光久に仕えていた貞昌に対し、球磨にいた頼兄が一揆の状況を書き送り、貞昌がこの日返書して壮心を励ましたとする編者記事。

登場人物
伊勢貞昌 相良頼寛 相良頼兄 島津光久
宛先
なし(記事)
キーワード
伊勢貞昌 相良頼兄 旧交 島原一揆 書簡 壮心
島津世禄記-A28記事関連史料(外伝)確認度 高

豊後征伐之事 付 九州配分之事 并 秀吉公発向九州事

伊東氏を保護した大友氏が秀吉へ島津征伐を求めたことに対し、義久が先に豊後へ攻め入った経過と、秀吉の九州国分け・征伐命令を記す。入田宗和・志賀道益ら大友方内部の離反を受け、新納忠元が密使を送り、天正十四年十月、義弘を大将とする三万七百余騎が肥後側から豊後へ進む。義弘勢は野尻・高城・津賀牟礼・松尾・鳥嶽などを攻略し、家久勢も日向側から三重方面へ進んだ。秀吉は島津・伊東・大友らの所領を配分する調停案を示して戦争停止を求めるが、島津方は従わず、十二月の戸次川方面の戦いで大友義鎮・仙石秀久・長宗我部信親・十河存保らの軍を破り、信親・存保を討つ。翌天正十五年、秀吉はこれを命令違反として九州征伐軍を進める。島津勢は府内・野上・玖珠方面から撤退を決め、義弘・家久は日向路、歳久・征久・忠元・伊集院久春らは肥後路へ分かれる。清田・三重・梅の隘・坂無・谷山・八代で追撃を受けながら防戦し、忠元らは国人の離反と豊臣方の海陸大軍の接近を見て、人吉を経て薩摩へ帰る。豊後侵攻の進展、戸次川での勝利、秀吉の国分け命令違反、豊臣軍来襲による撤退を一連の転換として描く。

登場人物
島津義久、島津義弘、島津家久、島津歳久、島津征久、島津忠長、新納忠元、伊集院忠棟、伊集院久春、入田宗和、志賀道益、大友義鎮、豊臣秀吉、仙石秀久、長宗我部信親、十河存保、伊勢貞昌、大野久高
宛先
—
キーワード
豊後征伐、九州国分け、戸次川合戦、秀吉九州征伐、豊後撤退、肥後路・日向路