友野元真奉公覚書
天正六年十一月十二日 / 冊子 609頁
友野元真が高城合戦で島津義弘の横入の手に属し、竹内主殿介・伊地知刑部少輔らとともに戦った奉公覚書。河原陣を崩した日に二人を分捕りし、島津義久から辛労を賞する言葉と褒美を受けたことを記す。
SEARCH THE ARCHIVE
『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
9 件 (全巻)/ 1–9件を表示
ページ 1 / 1
天正六年十一月十二日 / 冊子 609頁
友野元真が高城合戦で島津義弘の横入の手に属し、竹内主殿介・伊地知刑部少輔らとともに戦った奉公覚書。河原陣を崩した日に二人を分捕りし、島津義久から辛労を賞する言葉と褒美を受けたことを記す。
天正六年十一月十二日 / 冊子 625頁
大友勢が高城へ布陣し河原陣が崩れた際、友野元真が島津義弘の横入の手に属し、竹内主殿介・伊地知刑部少輔とともに戦った。二人を分捕り、島津義久から辛労を賞する言葉と褒美を受けたと記す。
二月十二日 / 冊子 124~125頁/原整理番号 199-1
肝付兼屋の従臣・緒方主殿介の覚書に写された矢文。城中から寄手の鍋島・肥後・豊後横目衆などを嘲る文句を列ね、二月十二日酉刻に城から付けた矢文とする。末尾に浮武士頭有馬亀之丞時貞・口之津左兵衛正利の名を記す。
年月日未詳 / 冊子 560頁
大重平六が、石田三成の挙兵に際し島津義弘(惟新)が徳川家康との特別な関係を理由に同心を拒んだこと、伏見城への籠城を申し入れたものの城方に拒まれたことを記す。井尻弥五助を江戸へ遣わしたが、家康の返書を携えた帰途に近江水口で襲われ、返書は判のみを残したという。
年月日未詳 / 冊子 125~126頁/原整理番号 199-2
伊地知季安が、時任氏日記と肝付兼屋従臣・緒方主殿介の覚書を校合し、互いの誤りを訂して載せた記事。城中からの矢文の日付・歌の異同、島原への援軍不要との情報、寄手側の動向が城中へ漏れた経路を考証し、捕虜・間者などを通じた情報流入を指摘する。
年月日未詳 / 冊子 586頁/原整理番号 628
肝付三郎四郎兼屋の従臣緒方主殿介の覚書。天草百姓一揆征討のため諸士・人数が集結し、鹿児島から木田を経て山崎へ着いて一宿した道程を記す。
年月日未詳 / 冊子 733~736頁/原整理番号 772
正月十七日を中心に米津へ到着した各郷の軍勢を、人躰・卒者・小者・夫丸・玉薬持夫に分けて記す。都之城八十人と小者夫丸七十一人、吉松三十人と夫丸四十二人、栗野七十人と夫丸三十一人、国分八十五人と卒者夫丸百三十四人などを載せ、人物別の負担人数も列記する。後半には十八日条へ分載する旨を注し、十七日到着の大姶良・頴娃・飯野・高原・小林・清水・蒲生・高山などの士と従者を続ける。
年月日未詳 / 冊子 153頁/原整理番号 271-2
前文で有馬から帰された加久藤衆二十八人の覚書。小川千介、宮路兵衛左衛門、林田平内左衛門、西田治部左衛門、柚木宮内左衛門、上田弥市、児玉清左衛門、永田主殿介、園田助左衛門、渋谷長介、益山七兵衛らの所属・人名を列記し、自力立の者も示す。
年月日未詳 / 冊子 129頁/原整理番号 205-1
有馬陣中の城から寄手へ放たれた矢文。立花・大鍋・板倉・後藤・肥前らに掛けた風刺的な文句を列ね、二月十三日酉刻に城から付けたものと記す。異本は緒方主殿介覚書へ混入した旨の注記がある。