島津吉貴書状
宝永元年九月二十九日 / 冊子 508頁/整理ID 1781
島津吉貴が小笠原彦太夫へ、肥後国水俣沖の破船について照会を受け、大坂から小倉へ定番船を差し遣わす件と水主八人救助の件を調べ、覚書を江戸へ届けるよう依頼した書状。島津帯刀からの書付も同封して返送している。
SEARCH THE ARCHIVE
『旧記雑録』前編・後編・附録10冊と追録1~8(暫定版)、『旧記雑録拾遺 伊地知季安著作史料集1~9』『家わけ1』(暫定版)、関連史料(外伝)『島津世禄記』の46,754件を横断検索できます。検索範囲は史料群・巻を組み合わせて選べます。結果は50件ずつ表示します。
5 件 (全巻)/ 1–5件を表示
ページ 1 / 1
宝永元年九月二十九日 / 冊子 508頁/整理ID 1781
島津吉貴が小笠原彦太夫へ、肥後国水俣沖の破船について照会を受け、大坂から小倉へ定番船を差し遣わす件と水主八人救助の件を調べ、覚書を江戸へ届けるよう依頼した書状。島津帯刀からの書付も同封して返送している。
六月廿三日 / 冊子 595~596頁
救仁院志布志内宝満寺地主八幡宮の御供祈所・屋敷について、前領主源太資清の寄進内容を承認し、寺家の所領として執行するよう命じた常円・快賀・範郷の連署状。
年月日未詳 / 冊子 597頁/整理ID 2034
清国への進貢を終えた琉球国王尚貞の船一艘(館頭・水主八十二人)が帰途に風浪を受け、宝永二年七月十日に土佐国幡多郡清水湊へ漂着した記事。土佐守松平豊房は幕府と薩摩へ報告し、幕府は先例と進貢遅延への配慮から長崎回送を免じ、薩摩で吟味のうえ琉球へ帰帆させることとした。
享保十四年十一月十四日 / 冊子 954頁/整理ID 2403
守殿方に勤める役と書付に差し上げる人数について、茶道坊主八人と通坊守拾人の配置を申し上げる。
甲子3月写置(後記) / 冊子 350~351頁/原整理番号 497/整理ID 497
長州征伐に付く役職別の給与・従卒の規定で、甲子三月に写し置いたと記す。家老一人には卒十五人、小荷駄二疋と主従までの扱い、家老座書役三人、軍役方家老座二人には一人につき二貫目・卒五百目等を記す。用達、大目附、右書役、側役、書役、軍役奉行・旗奉行・玉薬奉行・使番・目付・軍賦役、兵粮奉行・普請奉行・人馬奉行・横目、御用人・小荷駄奉行・作事奉行以下について人数や貫目・百目を列記し、使番の人脱か注も持つ。物主の従卒十五人、城下物主八人、側役以上地頭物主六人、留守居以下直觸以上四人、作事奉行以下は六人賦以上二人・五人賦以下一人、旗頭・什長・貝役・大鼓役各一人、郷士物主二人とする。手人召列の者へは支給しないとの例外もある。役職人数・従卒・金銭単位と例外を別に示し、実支給額や兵員総数は確定しない。