後編2-No.988文書確認度 高
島津竜伯書状
天正20年11月9日 / 冊子 612~613頁
細川幽斎の取り成しを受け、鹿児島のうちから少分の知行を別紙目録のとおり宛行うので、確実に領知するよう伝える。 朝鮮出兵期の島津領内で、中央文化人の仲介が知行給付に結び付いたことを示す書状。
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天正20年11月9日 / 冊子 612~613頁
細川幽斎の取り成しを受け、鹿児島のうちから少分の知行を別紙目録のとおり宛行うので、確実に領知するよう伝える。 朝鮮出兵期の島津領内で、中央文化人の仲介が知行給付に結び付いたことを示す書状。
応永十八年二月十五日 / 冊子 245頁
上総守島津久世が、河辺の寺領に関する書札など五通を抄出したことを証した証状。本文は簡略な抄録形で伝わる。
天正十二年十月七日~八日 / 冊子 940頁
十月七日、田尻鑑種が敵路を忍んで使者を送り、高尾城へ入ったが妻子を龍造寺氏に質として押さえられていると釈明し、江之浦城の家臣へ内応を働きかければ奪還できると申し出た。翌八日、境界の難易を調べるため新納忠元・伊集院久治・山田有信・猿渡信光を三池へ派遣した。
応永十八年二月廿五日 / 冊子 298頁/原整理番号 128
島津久世が、河辺の寺領に関わる書札五通を記した証状。付記には、同年九月十八日、久世が二階堂山城守忠朝の所持する契約状について記し、入来院重長へ莫祢院を与えたことを載せる。