上井秀秋領知目録
天正16年正月吉日 / 冊子 376頁
日向国諸県郡山村内の土地を、大日寺領として上井秀秋が領知することを記した目録。九州仕置後の所領・寺領編成を具体的に示す短い史料。
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天正16年正月吉日 / 冊子 376頁
日向国諸県郡山村内の土地を、大日寺領として上井秀秋が領知することを記した目録。九州仕置後の所領・寺領編成を具体的に示す短い史料。
年月日未詳 / 冊子 399~400頁
上井秀秋が、寺社の座配や所領をめぐる争論について、図田帳・新旧の日記・棟札・証文を照合し、どの証拠に基づいて裁くべきか伊勢雅楽入道へ意見を求める。 石田三成や秀長方への働きかけ、郡境・旧記の食い違い、証人の扱いにも触れ、公平な裁定のため史料提出と現地調査を依頼する。中世末の土地紛争で文書証拠がどう用いられたかを示す長文書状。
三月廿三日 / 冊子 54頁
上井秀秋が土持大膳亮に、当地で逗留している博士・田上左京進がそちらを徘徊する予定だと知らせた書状。旅人であるため、万一困窮・不都合が生じた際には援助するよう頼む。
七月十七日 / 冊子 55頁
上井秀秋が、図田帳の借用について土持大膳亮と瀧聞越後守へ協力を求めた書状。迫田次郎左衛門尉と相談し、南郷の福永が所持すると聞く図田帳も調査・借用して差し上げるよう依頼する。
八月十二日 / 冊子 55頁
上井秀秋が、内山の番役を早急に立てるよう土持大膳亮と瀧聞越後守へ求めた書状。御老中の指示に従い必要な人数を手配し、中山にもこちらから番衆を置くので、双方で相談して進めるよう伝える。
永禄9年10月26日、慶長5年9月15日、慶長10年4月20日 / 冊子 21~23頁/原整理番号 7
本田氏十二代兼親の三男・親賢(源二郎、兵部少輔)を祖とし、肥駄隼人介の後嗣となった系統。親豊が肥駄氏を去って本田氏に復したこと、親次が永禄九年十月二十六日に三之山で戦死したことを記す。親商は惟新公の加治木在城時の家老で、関ヶ原退去の際に忠志を尽くし、蒲生地頭を務め、慶長十年四月二十日に没した。ほか、親昌(初名親信、実は比志島源右衛門国家)の慶長五年九月十五日関ヶ原戦死、上井・宇宿・友野・木脇・川畑諸氏との婚姻、養子・早世・法名を収める。