HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
川上因幡守久国
異名・検索語:川上因幡守久国/久首/南山/天真院殿仁嶽宗寿居士
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:一部の役職年次・細字は追加校合を要する。法名は原冊拡大により宗寿居士と確認し、旧宗育大居士を訂正。墓所松源山を没地とは断定しない。
DESCRIPTION
本文内容説明
川上因幡守久国は久辰の嫡子。天正九年五月五日生まれで、義久の加冠を受け、東郷重位から示現流を学んだ。慶長三年に朝鮮へ渡り、泗川合戦で敵四人を討ち、番船取合では負傷した父を守って鉄砲で応戦した。帰国後も忠恒に供奉し、伏見・江戸への使者や将軍家の黒印伝達、巡見使の案内、江戸勤仕を務めた。家老職十年、所領三千石余で志布志・伊作の地頭。寛文三年四月十七日、八十三歳で病没。法名は天真院殿仁嶽宗寿居士、墓は松源山と記す。磯井四郎兵衛が殉死した。
系譜・人物関係
父は川上久辰。母は頴娃常陸介兼堅の女。
奉公・役職
忠恒・家久に供奉。使者、巡見使案内、江戸家老職、志布志・伊作地頭。所領三千石余。
軍役・事績
慶長三年泗川合戦で敵四人を討ち、番船取合で父久辰を救援。大坂出陣にも従う。
生没・法名等
天正九年五月五日生。寛文三年四月十七日病死、八十三歳。天真院殿仁嶽宗寿居士、墓は松源山。磯井四郎兵衛殉死。本人の没地は補完しない。
- 統合人物ID
- HP-1938
- 原人物ID群
- 05-071-02-02
- 氏・分類
- 川上
- 掲載巻頁
- 巻5:71~72
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 父は川上久辰。母は頴娃常陸介兼堅の女。
- 検索キーワード
- 川上因幡守久国/島津/軍役/系譜
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI全3頁再読・修復通常AI全3頁確認・原冊照合済。
- 公開判定根拠
- 軍役・使者・地頭職を確認。傍記を回収し、法名を宗寿居士へ訂正、墓所と殉死付記を追補。役職年次細字は留保して検索公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 第1頁右端を3pt拡張し又左衛門に付く朱記号を回収。通常・AI各全3頁を目視し隣接人物文字の混入なし。父久辰の負傷・家臣の働きは久国の関連記事として区別し、末尾殉死付記まで保持。新番号不要。
- 判読保留
- 一部の役職年次・細字は追加校合を要する。法名は原冊拡大により宗寿居士と確認し、旧宗育大居士を訂正。墓所松源山を没地とは断定しない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』