附録2-No.1330記事確認度 高
川上氏系図抄(七)
年月日未詳 / 冊子 718頁
川上久長・久首流と川上義久入道道安一流を記す系図。久首が朝鮮役・泗川新寨の戦勝に従軍し志布志・伊作地頭、家老となったこと、弓馬の達者義久が京都の犬追物を見学し将軍足利義尚の前で騎乗を披露して義字を賜った由来を記す。
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年月日未詳 / 冊子 718頁
川上久長・久首流と川上義久入道道安一流を記す系図。久首が朝鮮役・泗川新寨の戦勝に従軍し志布志・伊作地頭、家老となったこと、弓馬の達者義久が京都の犬追物を見学し将軍足利義尚の前で騎乗を披露して義字を賜った由来を記す。
年月日未詳 / 冊子 296頁
川上久辰の自作文。十一月十五日を期限とする帰陣命令後、小西行長が順天で明・朝鮮水軍に港口を封鎖されたため、島津義弘・立花宗茂らが救援へ向かったと記す。十七・十八日の戦闘で、久辰・久首は小舟から敵船へ攻めかかるが、大船へ乗り移れず矢石・火器を浴び、川上源太左衛門らが戦死、桑波田五郎兵衛らが負傷し、弾薬が尽きて退いたという自身の部隊の戦いと被害を具体的に述べる。
年月日未詳 / 冊子 566~568頁
薩州家四代忠興の後裔から西川を称した久興・忠則らを起点に、忠陽・久吉・久首・用磨へ続く生没年、幼名・官途、婚姻を記す薩州庶子西川氏系図。忠陽が天正九年の水俣合戦で戦死したことも載せる。